〜「東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部を改正する条例」問題について〜
来る3月18日、日本の表現の自由に対して大きな制限を及ぼす可能性のある条例が
東京都議会で通ろうとしています。
この条例が通れば、どうなるのか。如何にして表現の自由が制限され、そして、
漫画、ゲーム、小説をはじめとする「表現」「創作」全般が縮減していくのか。
自分なりにまとめ、反対意見として雑記に上げたものを、ここにも掲載しておきます。
3月15日分記事にあるリンクからは、この件についての情報などを載せているページに
飛ぶことも可能です。一度、どうか、この件について考えてみて頂きたく、緊急に開設しました。
では、以下に雑記に書いた記事を掲載しておきます。
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2010年3月15日 (月) 「東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部を改正する条例」問題について
本日は、少しばかり深刻な話題について思う所を書いておきたいと考えます。
所謂「東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部を改正する条例」問題についての話です。
以下、問題になっている「東京都青少年の健全な育成に関する条例」第二条の一部、第七条、
「東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部を改正する条例」第二条の一部を記載しておきます。
※なお、この場所以外にも問題と思われる箇所は相当数なんですが、
今日の雑記では取り敢えず話題になっている「非実在青少年」という言葉に
スポットを当てて書いてみよう、と考えています。
〜東京都青少年の健全な育成に関する条例〜
(※以下、条例から引用)
(定義)
第二条(抄)
この条例において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
一 青少年 十八歳未満の者をいう。
(図書類等の販売等及び興行の自主規制)
第七条
図書類の発行、販売又は貸付けを業とする者並びに映画等を主催する者及び興行場
(興行場法(昭和二十三年法律第百三十七号)第一条の興行場をいう。以下同じ。)を
経営する者は、
図書類又は映画等の内容が、青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、
又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認めるときは、
相互に協力し、緊密な連絡の下に、当該図書類又は映画等を青少年に販売し、頒布し、
若しくは貸し付け、又は観覧させないように努めなければならない。
(平四条例一九・平一三条例三〇・一部改正)
(引用終わり、太字表記、(抄)の表記は管理人による。
なお、下の改正案においては、太字の部分が更新されますよ、ということを言っています)
〜東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部を改正する条例〜
(※以下、条例案から引用)
第二条(抄)
第七条中「青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、
又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」を
「次の各号のいずれかに該当する」に改め、同条に次の各号を加える。
一 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、
又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの
二 年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を
想起させる事項の表示又は音声による描写から
十八歳未満として表現されていると認識されるもの
(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による
性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法で
みだりに性的対象として肯定的に描写することにより、
青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、
青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの
(引用終わり。太字表記、(抄)の表記は管理人による)
まずはじめに。私はこの問題に対して、条例制定反対の立場です。
基本的人権、表現の自由に関わる話題であり、
創作物の可能性を縮減させる方向に繋がる話だからです。
次に、自分の意見であって、共感を求めているとか、そういう話ではありません。
自分はこう考えている、そのことを、書いておきたかったのです。
そして、少しでも思うところがあれば、どうか、御自分で、この問題について考えてみて下さい。
また、お願いです。もし、この条例制定に反対、ということならば、声を上げてみて下さい。
ツイッターでも、世間話でも、ブログでも、掲示板でも、反対派の方々へのお便りなどでも……。
以上を前提に、以下の話を読まれる方は、お読み頂ければと思います。
また、明日、漫画家さん達もこの条例改正に反対を表明する、とのことです。
インターネットをはじめ、情報を拾える人は是非とも拾って頂きたいと思います。
なお、この問題についてのリンクを貼っておきます。
なんの話をしているんだろう? という疑問をお持ちの方は、
宜しければ下のリンクをご参照ください。
現在問題になっている動きについて直接扱っておられるサイト。
東京都青少年健全育成条例改正問題のまとめサイト
「非実在青少年」規制問題・対策まとめ
東京都議会の条例改正によって影響があるアニメ・漫画・ゲームの例
保坂展人のどこどこ日記(規制諸法制改悪反対派の前衆院議員・保坂展人氏のブログ)
その流れに属する問題についてのサイト(児童ポルノ法問題など)。
警察庁の『漫画・アニメ・ゲーム表現規制法』検討会問題まとめ @Wik
STOP!今そこにある「漫画・アニメ禁止法案」
さて。
上記サイトでも明らかにされている上、自分が条例を読んでもそのように思いましたが、
問題になっているこの東京都青少年健全育成条例が案通りに改正され、
現行の条例と合わせて存在するようになると、行きつく先は
「マンガやゲーム、創作物一般の衰退、将来的な壊滅」、と考えます。
この条例改正の問題点ですが、端的に言えば、
「非実在青少年」を条例の対象にしていることです。
即ち、絵、イメージ、声での表現でも
“18歳未満に見えれば流通制限の対象にする”と明言していること。
この条例改正案にどのような問題があるか。
分かりやすく、端的に申し上げると、
「どれが18歳未満、どの程度が18歳未満か、具体的基準なんてないのに、
規制に入ろうとしている
(規制対象が規制側の主観で自在に広げられることになる)。
そして、表現の自由を縮減させ、創作物の未来を抹消する結末になる
(解釈次第で、多くの創作物が青少年に届かなくなるわけですから、将来的には……。
また、今、書いている人たちも――)」
この改正条例が通れば、どうなるか。
たとえば、キスをしているシーンが出て来る創作物の登場人物が18歳未満か、そうでないか。
規制側が「18歳以上」と判断すれば、それで「流通規制」です。
まず、18歳未満がそういう行為に及ばない、と主張する人は、
……どこの人、でしょう? 少なくとも、自分は理解不能です。
18歳未満で恋しない人――いないとはいえないはずです。
結構いらっしゃる、と、言えるんじゃないでしょうか?
そういう少年少女がキスするシーンを書いただけで、アウト。
つまりは、そういうことが起こる条例です。
そういうことを書いた表現物を、普通の流通から排除できる条例です。
そして、次に、18歳ラインの判断に、恣意性が入らないわけがない。
はっきり言いましょう。
判断する人が「きにいらないか、きもいかどうか」で、
有害と決定するかどうかが決まってしまう、ということです。
明確性の原理。
刑事法で出て来る用語ですが、この「非実在青少年」の定義は、
この原理に真っ向から挑戦しているように見えます。
そして、その「恣意」により、あらゆる創作物が、
一方の論理から「悪」として断罪される可能性が発生する、という事実。
自由な創作とその発表に対して、脅威となることでしょう。
自分は、そう考えています。
まず、ここまででも、自分が考える問題点を簡潔には述べられたかな、と思います。
以下に、上の話をもう少し具体的に書いておきたいと思います。
この条例はどういう解釈が出来るのか(改正案前も含めて)。
つまり、「デスノート」は、青少年が見てはいけない表現物なんだそうです。
「ドラゴンボール」だってそうなのかも!
結局、そういうことになろうか、と考えます。
例えば、デスノートは、思いがけず凶悪な神の力を手にした少年が辿る、運命の物語。
ドラゴンボールは、ドラゴンボールを巡って、孫悟空たちが繰り広げるストーリー。
それを、条例の論理で規制してみましょう。可能です。
まず、「殺人」という行為。一般に残虐行為と言えます。
――デスノートには欠かせない表現です。
「暴力」という行為、これもまた、一般に残虐行為の一種と言える程度も存在するものです。
――ドラゴンボールでは、戦闘が重要な構成要素です。
これらが「残虐性を誘発する」、と言ってしまえば、条例に抵触することになります(条例第七条)。
なので、上の条例で「青少年は見ちゃダメな作品」と言えます。
言うと、この手の表現がある創作物は、そういう年代(上記参照・18歳未満)を対象には
販売、閲覧に供することができなくなります。
それがどれだけ優れた価値をもつ作品であろうと、
「緊密な連絡の下に、当該図書類又は映画等を青少年に販売し、
頒布し、若しくは貸し付け、又は観覧させないように努め」る義務が発生します。
ネコも杓子も、簡単に、条例の対象となり得るわけです。
そういう条例になっているんですから。
18歳未満にも読んでもらえる作品には、表現の、主観に基づく規制が
事実上かけられるわけですね。
次に、改正案で、少年少女の恋愛を構成要素にした作品が具体的に危険になります。
なにせ、数字が入りましたからね。具体的に規制するぞ、と、取れます。
さて、そんな作品では、キスしたりしてますよね、少年少女。
具体的な名前を借りると。
「涼宮ハルヒの憂鬱」、危ない危ない。
「ゼロの使い魔」? とんでもない!
と、いうこともありえるんですよね。
両者とも、キスシーンが明確に存在します。
そして、それらが
「十八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という。)を
相手方とする又は非実在青少年による
性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により
認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写すること」(条例改正案第二条)
に当てはまる、と言われてしまえば、抵触です。
だって、そういう解釈が可能な条例案ですから。
そういった類の作品、青少年が購入不可能になります。
作品の中で、16歳同士が愛し合うことだってありますよね。
少年少女の甘酸っぱい恋のお話。
それを、「18歳未満の情事ね」と断罪されれば、
「緊密な連絡の下に、当該図書類又は映画等を青少年に販売し、
頒布し、若しくは貸し付け、又は観覧させないように努めなければならな」くなり、
青少年は、購入できなくなってしまう。
さて、私の愛するサブカルチャー文化は――果たして、どうなってしまうんでしょうね。
上記の作品に於いては、「青少年」が、購入層として非常に大きな役割を担っているはず。
青少年層に買われなくなったら、どうなるんでしょう?
そして、青少年のうちにそういう作品に影響を受けた子が、
将来的にサブカルチャーを担うことになるはず。
とすれば、それら作品が、青少年に届かなくなると――?
サブカルチャーの未来は?
大騒ぎになっているのは、思うに、そういう危惧を抱くから。
こんな社会に育つサブカルチャー、どうなるんですか?
そしてそれは「表現の自由の規制」でしょう? 青少年保護の名を借りた。
あらゆる媒体の表現に規制がかかるんですよね、結局。
子供から大人まで、広く読まれるであろう作品の、数多くに。
(なお、この視点ではちばてつや先生のHPにある
「と思います」という漫画が、共感できるものでした)
多様性、という言葉があります。
自分の価値観に合わないものも存在するんです。
それを覆い隠すなど、当に「蛮行」です。
そんなわけで、これは「創作物」の岐路だと考えます。
日本のサブカルチャー文化がどうなるのか。
私も、今からもう一歩真剣に考えてみます。
そして、まずは、ここに、自分の考えを記しておきました。
(以上、3月15日付雑記より)
2010年3月16日 (火) 引き続き、もう少しシリアスな話。
昨日はやたらと重い文章だったと思いますが、
本日も宜しければ、少しお付き合い頂ければ幸いです。
それほど異常な状況で、今後どうなるか本当に懸念されるからです。
本日、少しばかり、昨日の件についてメディア上にも記事が出るようになりました。
その記事から、自分が「?」を浮かべたところを書いてみます。
(引用元・毎日新聞)
都小学校PTA協議会の新谷珠恵会長は
「自分と同じ年ごろの登場人物の過激な性描写が、
未成年の心にどんな影響を及ぼすのか、考慮することが必要だ」
と話している。
(引用元・朝日新聞 ※午前1時頃追加)
一方、都小学校PTA協議会は
「目をふさぎたくなるような漫画などが書店に置かれている」
として改正案成立を各会派に要望した。
はっきり言いましょう。「あるものを無い」ということにする、
そういう社会のほうがよほど問題が大きいと思います。
思うに、むしろ、学校での保健教育などで性教育をしっかりすることが
先決であり、性行為についての知識と、刑法犯罪など、ダメなことを教えれば済むことです。
あとは、受け手の問題。
判断するのは、あくまで読み手でしょう。
表現する側を縛りに来る話ではない筈です。
「目をふさぎたくなる」って……完全に貴方達の価値観ですよね、それ。
そして「どんな影響を及ぼす」んでしょう……?
きちんと、論理的に、申し述べて欲しいです。
また、何が「過激」なんです? どこから?
はっきりとした定義がありますか。
「貴方達が、気持ち悪いと思うところからですか?」
(引用元・読売新聞)
里中さんらは「規制によって、出版が事実上制限され、日本が誇る漫画・アニメ文化が衰退する」
「悪い漫画といい漫画を区別できるのか」などと訴えたが、
都青少年・治安対策本部は
「すべての性描写が規制されるわけでなく、大人への流通も制限されない」
として、漫画家の創作活動には影響しないと反論している。
違うんですよ。というか、違うの分かってて言ってるんでしょうけど。
あの条例だと、いくら何やら本部さんが綺麗事を並べようが
「規制の可能性が現出する」んです。
貴方方は今、どうとでも言えます。
しかし、条例が出来て、運用の段階になって、
運用側(審議会)の主観で「この性描写はダメね」と
なるんですよ。そういう条例、そして改正案なんです、アレ。
昨日も具体例で少しやってみましたが。
だから、大問題なんです。何やら本部さんの反論は、成り立ちません。
主観、恣意による「表現の自由」への規制が、簡単に、条例を基礎に達成されます。
そうすると、そういう系統のものは売れなくなります。
当然、制作段階――クリエーターの創作段階で、編集者その他が、
そういう表現に抵触するんじゃないか、と思われる表現を
カットしていかざるを得ないことになるわけです。
あらゆる創作活動に、影響が考えられます。
影響が無いわけないでしょう。
自分などは、上のように考えます。
抽象基準や主観で、「表現の自由」を、
基本的人権を侵害しようとしている動きなのだろう、と。
(以上、3月16日付雑記より)
2010 年3月17日 (水) もう少しばかり。
いよいよ日も少なくなってきて、こんな不意打ちのようなカタチに
対応しなくてはならない現状に天を仰ぐばかりですが、
少なくとも都青少年条例改正問題に気付いてくれる人は増えているように
感じられます。もう少し、お付き合い頂ければ幸いです。
さて。本日は、「この問題が表現の自由規制につながる」ということについて、
もう少し具体的に思う所を書いておきます。
なんで、この問題が、「表現の自由規制に繋がっ」て、
「日本の漫画、アニメをはじめとする創作文化に大きな悪影響を与え」るのか。
それは、私の考えでは、そのひとつは
「あるものを書けなくなる」恐怖があるから、です。
都青少年条例改正案は、創作の世界においてでも「実在する事象を表現できなくなる」という
危険をはらんでいる、と考えるのです。
……ちょっとその前に。今回の「非実在青少年」に及ぶ創作への事実上規制は、
「実写の児童ポルノ」規制とは
全く違う意味を持つに到る話である、ということを、まずご理解いただきたいと思います。
確かに、実写の児童ポルノは制限されてしかるべき存在です。
それは何故か。実写の児童ポルノには、実際に被害を受けている
生身の人間が介在しているから、です。
児童の個人法益を、大人から守る。その観点で、実写の児童ポルノに
関する問題では、制作その他を防ぐための立法が考えられるところでしょう。
実際に被害者への人権侵害が起こる事案に対する規制ですから。
この意味で、明確に「児童ポルノ」の定義を実写に限った上で
厳密な法文によって制作を防止することは、考えられるところです。
しかし、今回は違います。
問題点は、前の記事でも指摘したとおり。とにかく定義があいまいで。
どうとでも解釈可能、適用可能な条文です。
「18歳未満」という「青少年」定義も広すぎます。
民法に照らせば、日本人は、女性は満16歳から結婚可能です。
例えば、7歳と17歳の性知識についての差は言及するまでもないでしょう。
同一平面でぶった切っている時点で、論外です。
また、18歳未満の恋愛が0である――恋愛は、人間が動物である以上
性的な行動を伴う可能性があります――なんて世界は、
あり得ないと考えていいのではないでしょうか。
青少年にも、性的行動の自己決定権はあるのです。
好きな子にキスをする、抱きしめあってみる――誰でも、考えられる、普通の行動です。
もう少し。漫画やアニメはじめとする創作物への流通規制が、
本当に「青少年への保護」になるのでしょうか。
因果関係は、ちゃんと立証されていますか。
上の「実写の児童ポルノ」であれば、明確な話です。
被害も、保護すべき法益も。
しかし、今回の案は、――なにひとつ、明確具体的ではない、と、考えます。
そのままで、広範、恣意解釈可能で無制限拡大可能な、粗悪な条例を
強引に通そうとしている。
問題は、当にここにあります。
拙速、性急。議論で問題点が出来る前に、作り抜けよう。
この案を作った大人達が勝手に思っている「青少年保護の望ましいかたち」を
一方的に通そうと考えている。
そう考えられても、おかしくない動きだと思います。
……さて、ちょっと話が逸れました。
ここから、本題。
即ち、「あるものを書けなくなる」という恐怖。どういうことか。
創作の段階で、条例案に書いてあるような事柄を否定する。
恣意的に、主観的に、広範に否定出来る、という事実。
これは、どういうことに繋がるのか?
そのひとつ、考えられるのは「現実世界を創作物に反映させられなくなる」ということ。
「あること」を、くさいものにふたをする原理で、「ないこと」にする。
青少年に「リアリティの無い、非現実的な世界」だけを見せる作品しか世に出ない。
何故なら、そういうのを描いて、現実に流通しなくなるのは困るから。
だから、実際にあること――を、創作段階で強固に過剰に自主規制することになる。
この帰結は、そういうことではないでしょうか。
人間が考えられるもの、世に存在するものを、
「創作物」としてさえ表現することが出来なくなる。
「表現」の質低下、――果ては終焉、が目に見えるように思います。
今回の条例案を見れば分かる通り、どんな「(規制する側にとっての)毒」に対しても
同じ処方箋で文句がつけられるのですから、大げさなことを
言っているわけではないと思います。
前に提示したとおり、優れた漫画や小説でさえ、やりようによっては
世に出る前にお蔵入りになる。
これからは、創作段階でチェックが入って×になるわけですから。
過剰な自主規制の誘発、そして創作が委縮する。
これが「表現の自由への規制になる」「文化への悪影響になる」という意味です。
今回の条例改正は、そのような類のこと
――「表現の自由」に対する、無制限の、広範囲に渡り得る規制――を、
事実上、堂々とやる結果になるわけです。
最後に。
この一連の流れは「表現の自由」に対する無思慮な強姦、輪姦――
――これを、凌辱するものである、と。
「憲法で保障された人権を、誤った方法で縮減するという蛮行」を、
遂行している流れなのですよ、と。
自分は、そう言っていいと考えています。
(以上、3月17日付雑記より)
2010 年3月18日 (木) しかし、これが始まりでしかないと思います。
都の漫画・アニメ規制案 出版4団体が緊急反対表明
少しずつの動きは、着実に何かを動かしているようです。
少なくとも、そう感じます。反対に回ってくれる可能性がある、
民主党中心とした都議各位にも普段では考えられないような
書状数が行っているようですし(これに関してソースを保存しておくのを忘れたんですが……)、
この問題が周知され始めたのは歓迎すべきところでしょう。
結論先送りになる見通し、というの記事も出てきてはいます。
しかし。
これは、始まりでしかないでしょう。まだその記事通りになるとなったわけではない上、
仮に、そのように行ったとしても、ただ「継続審議」になる、というだけですから。
まだまだ、自分で考えて、どのように行動すべきか、考え続けなければならないと思います。
今しばらく、ニュース系統の記事から目が離せなさそうです。
(なお、グーグルニュースで「東京都 青少年」と検索すると、
当該問題に関する記事を効率よく目にすることが出来ようかと思います。
参考までに……)
(以上、3月18日付雑記より)
2010年3月19日 (金)
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20100318_355520.html
とまあ、こんな記事を発見したので少しばかり書いておきましょう。
都青少年条例改正問題について東京都の見解が載っていますが――
法律、条例の世界において「解釈」という言葉がどういう意味を持つものか。
即ち、法律、条例というものは、時々の「解釈」によって
その運用が柔軟に為されるのです。
時代は、動きます。それを、作られた当時の制定法で色々と対応しなくては
いけないので、これは避けられないことなのです。
つまり、上の記事であるような東京都の説明(見解)ですが、
これはあくまで、彼らが「今、そう解釈してまーす」、と言っているだけの話。
本当に、ただそれだけの話。
あの条文であれば、「作ってさえしまえば」、
後出しで、解釈次第でいくらでも言いようがある、と考えざるを得ません。
前の雑記にも書きましたが、「今は、どうとでも言えます」。
しかし、条例が出来てしまい、何時の間にやら、理由をつけて
「解釈変更」とすることは、運用側――法を使う権力側にとっては、
些事の範疇に入るでしょう。
何より、都の説明通りなら、「わざわざ」改正する必要も分かりませんしね。
結局、「ああそうですか」とは言えない「改悪案」である、と、自分は考えています。
まだまだこの条例に関する問題は先が長いですので、今後も
思いついたことがあれば書いて行こうと思っています。
その場合は、少しばかりお付き合い願いまして、
想いを馳せて頂けると幸いです<(_ _)>
(以上、3月19日付雑記より)
2010年3月20日 (土)
表現の自由の萎縮招く/古館都議 青少年条例改定案に反対
(引用元・しんぶん赤旗)
東京都議会・総務委員会傍聴(3月18日)に行ってきたよー!
(追記・バーバラ片桐さんのブログ。実際委員会の傍聴に行ってこられたそうで、
上の引用元に出ている記事の件も本文に載せておられます)
この記事の真ん中下あたりをお読み頂ければ、と思います。
(追記・引用ブログの当該個所前後も非常に興味深いです)
前の記事でも、この条例による規制が本当に青少年の保護になるのか、
因果関係はどうなのか、という疑問を提示したんですが、
やっぱりはっきり言えなかったみたいです、因果関係。
共産党の都議が
「漫画、アニメ等での青少年の性的描写が青少年の性に関する
健全な判断能力の形成を阻害するとする学問的知見にはどのようなものがあるか」
との問うたのに対し、都の担当者は
「学問的知見は見いだせていない」
と答えたのだとか。
ちょっと、これを見て、唖然としました。
「条例」(地方自治体の法規)で、
「日本国憲法第21条に明記されている表現の自由」を
規制しようというのに、この答弁です。
もう論外としか言いようがない、と感じました。
本当に「法」に関わる人間がやることなんでしょうか。
そして、それなのに
「一日も早く成立させるべきだ」
「早急に実施を」
などと言ってしまえる、政党があったとは。
結構、自分はビックリしています。
本日、正式に青少年条例改定問題は「継続審議」が決定しましたが、
どうも私が住む隣府の某首長もかなり気にかかる発言をしたようですし、
まだまだ注視し、考え、行動しなければいけない、と、考えています。
(以上、3月20日付雑記より)
2010年3月21日 (日)
少しばかりここ数日の問題についても言及しますと、
どうも「誤解」という言葉を規制派が使う傾向を見ることが出来ます。
「誤解」ってなんでしょうねえ。誤った解釈、になると思うんですが、
少なくともあの条例案を読んだ段階では「誤解」である余地はないと
思うんですけどね。「法文解釈でどうとでもなる」「作ったもの勝ち」と
いう点で……。
どうも「誤解」という分かりやすい言葉を使い、反対派の舌鋒による
劣勢、矛盾点・欠陥の明白化を糊塗しようとしているように思えますが、さて。
(以上、3月21日付雑記より)
2010年3月22日 (月)
なお、今日は具体的には取り上げていませんが、ここ数日言及していた問題については、
今後もちょくちょく折に触れて書いていきたいと思います。
まだまだ気になる記事や事実がいっぱいありますからね。
トップにも雑記からの抜粋ページを残しておきますので、宜しければ、
意識の片隅に置いておいて頂き、時々考えてもらいたいなあ、と思っております。
忘れてその隙に、というのが一番怖いですし、
規制側の狙いでもあると思いますから。できれば、ネットで産まれた
パワーを繋がりで残す形があればいいと思うんですけどね……。
まだ継続審議になっただけなわけですし、更に言えば、先日発言を取り上げられた
某府知事のおひざ元議会は自公が優勢ですから、予断は本当に赦されないのです。
ウチもまずは、条例案を継続審議にする方向に持って行ってくれた
政党さんに感謝のお手紙でも書いてみようかと思っています。
ともあれ、宜しくお願い致します<(_ _)>
(以上、3月22日付雑記より)
2010年3月24日 (水)
http://tsukurukari.blog3.fc2.com/
月刊誌『創』の特設ブログで、今回の表現規制問題について色々と情報を
まとめる様式のホームページになっております。
今までの諸情報をまとめたい方、あるいは
「今からこの問題について考えてみようかな」という方にもお勧めの
ページのひとつです。ウチの3月15日付雑記(トップからでも、
雑記内でもどちらでもOKです)の諸リンクと合わせて、
参照になれば、と思います。
しかし、つくづく、まだまだ先の長い戦いになりそうという感想を持たざるを得ないですね。
しっかりマンマークを続けて行こうと思っております。
まずはお手紙書き上げるぜ……。
(以上、3月24日付雑記より)
2010年3月26日 (金)
先日リンクを貼りました 月刊『創』の都青少年条例改訂問題特化ブログに、
3月18日の都議会における委員会質疑の詳しい内容、解説が載っていました。
先日、バーバラ片桐さんのブログを紹介しましたが、
それをもっと詳細にした形ですね。規制側の「あやふやさ」「強引さ」が
炙り出されているかのようです……。
どうも、大手紙をはじめとするこの問題への「報道」も、肝心な核心を
書いていなかったり、どうも大事と捉えていないところが散見される気がしますので、
(例えば、時事通信HPの当該条例に関する用語解説的なページは、
「なんでそれが表現の自由の侵害になるのか」
という過程がすっ飛ばされているので、
パッと見た感じでは「何が問題なのか」全く分からない状態だったり)
やはりこういうふうに詳細に情報をまとめてくださるサイトはありがたいですね。
水面下で規制側も動いているでしょうから、反対する側としても
論理的に頭を働かせ、かつ、定期的に情報に触れる必要があると考えます。
(以上、3月26日付雑記より)
2010年4月7日 (水)
さて、意見をまとめている(この問題に関して思索する)時間が11日まで取れないので、
本日はちょっとリンクのご紹介&雑感をば。
東京だけでなく、大阪にも青少年条例問題が飛び火している、という話題です。
大阪府表現規制問題に関する私的まとめ
この某知事のコメントを見て目を疑いましたが、
「表現の自由だけで議論を封鎖するのはおかしな話だ」
とかなんとか。
違います。何をミスリードしようとしているのか知りませんが、
「条例案の『非実在青少年』たる定義、条例の規定に
こういう問題があって、だから表現の自由に対して恣意的無制限な
規制が加わる危険性があまりにも大きく、それ故にあり得ない」
と、ちゃんと順序を踏んで反論しているのです、規制反対派は。
「表現の自由だけで議論を封鎖」していません。
影響力のある人間が勢いだけで適当なことを言う弊害の良い例、と
言ってしまっていいのでは、と思います。
こういう論にも冷静に反駁できるようにしたいところです。
(以上、4月7日付雑記より)
2010年4月18日 (日)
この話題を取り上げておきましょう。東京都青少年条例改定案問題。
次の山場は6月頭だそうです。この時期、新年度の忙しさなどでつい考える余裕を失ってしまいがちですが、
この話題は常に考えておきたい、と思っているところです。
皆様も、どうか頭の隅にででも置き、お考えいただきたいと思います。
さて。こちらの記事をご覧ください。
朝日新聞4月9日朝刊オピニオン欄「争論」
4月9日付の朝日新聞を持っておられる方は、そちらを参照して頂いても構いません。
持っておられない方で画像からは読みにくければ、プリントアウトすると読みやすいかも?
この記事を読んで、規制反対派の意見について大いに賛同する所、
あるいは規制賛成派の文章各部分に細かく反論したい所があるんですが、
今日は、規制賛成派の論客意見全体を見ての感想を書くことにします。
さて。この規制賛成派の論客意見ですが、ここには
「規制賛成派の『独善』」
が明確に出ている、と、自分は考えました。
正直申し上げて、この争論における規制賛成派論客の論調には
ありとあらゆる点から突っ込みが入れられます。
で、まとめて一言で言うと、「独善」と断じてしまっていいのではないか、と。
「彼女たちの考える、こどもたちにいいこと」=「正義」。そんな考えが透けて見えるんですよね。
……で、本当にそうなんでしょうか?
文面から読み取る限り、規制賛成、と言っている人々が考えているのは「無菌の世界」なんですよ。
しかし、考えてみてください。
現実に無菌の世界に子供を遊ばせていると、彼ら、彼女らはどう育つんでしょうかね?
すぐに風邪をひく、抵抗力のない子供が出来る――んじゃ、ないですか?
この問題についても同じだと思いますがねえ。
果たして、そういう「きれいな表現」「きれいなせかい」ばかりに
接してきた子供たちが、ある日突然、しかも創作の世界では無く、
「厳しい現実」に曝されたら、どうなんでしょうね。
「世界はそうじゃないんだ」と知った時、どうなるか考えたことがあるんでしょうか?
「きれいなことしかないせかい」をアピールするのは簡単ですが、
世界はそう出来ていません。清濁併せて存在するのが世界です。
性の問題についても同様ですよ。その「ある」現実を隠すだけ、それが
「子供にとって望ましい」ことなんですか?
前にも雑記で書いた通り、そういうのもあるけれど、犯罪は犯罪。
そういう判断力、思考力を育てるのが先であって
現実を覆い隠してしまうのは「保護」になっていませんよね。
結局、この人たちは「子供たちのことを考えている」ふりをして、
「自分たちの価値観を守ろうとしている」だけなんでしょう。
しかしながら、価値観は単一ではありません。
そして、規制賛成派の価値観で規制される、その価値観に合わない
数多の表現物、そしてその結果、表現の世界が辿り着く「惨状」を鑑みれば、
この条例案廃すべし、との思いが一層強くなるのを感じざるを得ないところです。
この記事から読み取って書きたいことはまだまだあるんですが、
本日はこの辺りで……。また、近いうちにこの問題を取り上げたいと思っています。
それでは、また。
(以上、4月18日付雑記より)
2010年5月1日 (土) 大阪府が示した、昏い「未来」
今日は少し、例の話題を。こちらをご覧ください。
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201004270014.html
時間が経つとリンク切れになるかもしれませんが、
内容は
「今まで府指定の有害図書で無かったBL雑誌が有害図書に指定された」
というものですね。
さて、このニュースですが、これこそが当に、
都青少年条例改定問題で最も自分が危惧することが、現段階で現実になってしまったもの
なのです。
即ち、
「法(条例)の運用、解釈変更による規制適用範囲の変遷」
です。
この記事を見て頂ければ分かるのですが、
まず大前提として
「大阪府青少年健全育成条例」
というものがあります。
この条例では、「有害図書」なるものの定義があり、
それに当てはまる、と指定された図書類は
「有害図書」として販売その他を規制される、ということになります。
さて、記事によると、この条例における「有害図書」ですが、これまでボーイズラブ系の
雑誌は、この条例における「有害図書」に当てはまらない、とされていました。
つまり
「大阪府青少年健全育成条例」
という条例は存在しますが、ボーイズラブ系の雑誌はこの条例における
「有害図書ではない」という判断だったわけです。
しかし、今回、同じ
「大阪府青少年健全育成条例」
により、ボーイズラブ系の雑誌が「有害図書」に認定されてしまいました。
この「同じ『大阪府青少年健全育成条例』」というのがキーです。
つまり、
今までと条例の態様は何ら変化していないのに、
突然、今までの条例を根拠に、条例の解釈、運用によって、
今まで規制されていなかったものが規制されてしまった
ということですね。
これが、規制法の怖いところ。
自分が
「あんな条例案では、いつでも運用、解釈で表現の自由に無制限の規制がかけられてしまう」
「条例は出来てしまえば規制側の勝ちで、いつでもどうとでも解釈を変更して規制出来る」
と言っていたのは、当に今回のような事例を指していたのです。
都が、最近「質問回答集」などと称して、都条例改定案で
規制されるかどうか、という質問に応えているものがあります。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/04/DATA/20k4q500.pdf(回答集)
しかし、今回の件で良く分かったのではないでしょうか。
騙されたり、誤魔化されたりしないでください。
今、都がどう言おうと、条例改訂が通ってしまえば、規制側の勝ちです。
今、都がどう言おうと、それは「今、そう考えている」ということでしかありません。
未来、その解釈を変更し、存在する条例を用いて規制を広範に広げることは、
一瞬で、至極容易に可能なのです。
http://mitb.bufsiz.jp/
今回の大阪府の動きで、実際に「ボーイズラブ雑誌が店頭から消えた」というレポートがあります。
この「有害図書」指定を受けたところで、販売場所をちゃんと区別すれば
18歳以上に販売しても問題ないのですが、実際に上のような状態になってしまっています。
この「有害図書」指定は、事実上、販売を停止させる――
即ち、表現物としてのBLを滅亡させる、という結果に繋がってしまう、それが
良く分かると思います。
都青少年条例改定、これが通れば、未来に現実となる状況を、
当に、今回の事件は、先取りして見せた、と言えるのではないでしょうか。
ボーイズラブも、立派な表現の一態様。
そもそも、衆道は世界的にも、もちろん日本でも古来よりある愛の形であるのに。
このような指定で、この形を扱う表現物が店頭から存在しなくなってしまうのです。
こんな風に「表現物が売られなくなる」のならば
「じゃあ、作る段階で規制しなきゃ」
「作れないよね、もう」
という形になるのは明白です。
実は、大阪や東京の青少年条例が、現段階でも危険なものである、
という証左にもなっています。これ以上の動きはなんとしても
止めなければならない、と、自分は思いを新たにしております。
参考になれば、幸いです。
それでは、また。
(以上、5月1日付雑記より)
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