――古人曰く、アイドルとは「偶像」である。


 しかし、その存在は世を照らし、人々の希望と成り得るだろう。
 その意味では、テレビに出、絢爛たる輝きを放っている人々だけが、アイドルなのではない。
 輝きを放ち、人々を魅せる存在であれば、誰でも「アイドル」たり得るのだ。
そうした者たちは、きっと、在野にも多数存在する筈である。


「THE IDOLM@STER of FUYUKI」とは、そんな人々が輝きを放つ、当にその舞台たり得るダンスコンテストなのである――






「と、そこまで言うとウソになるんですけどね」
「そ、そうですか。しかし、踊り――舞踊……」

 とある土曜日、冬木駅前スターバックスコーヒー。美綴綾子が、手を合わせつつセイバーに頭を下げている。他の同席者は氷室鐘、三枝由紀香、そして蒔寺楓の三名。彼女たちもまた、綾子と同時に頭を下げ、セイバーに礼を取っていた。

「ホント、急な話で申し訳ありません」
「いえ。綾子たちが危急存亡の秋に立っていることは理解しました。しかし――」

 セイバーは大きく頷きながらも、やや不安げな表情を見せる。

「私には、そうした舞踊の心得がない。それでも構わないのでしょうか」
「それは、大丈夫です。セイバーさんの運動神経は、あたしがよく知ってますから。セイバーさんなら、絶対に出来ます」
「なるほど」

 綾子は、力強くそう言い切った。世辞の類ではない。言葉の調子からも分かるし、こと、綾子の「動き」を見る目は信用できる。彼女がそう言うのならば、間違いはないだろう。

 返事は、もう固まっている。友として、その危地を救うのは騎士たる身の義務とさえ言える。
 そのことを口にする前に、セイバーは一拍呼吸を置いた。
 これまでに到る経緯を反芻し、よく租借した上で、綾子たちに返答するために。




 ことの始まりは、一週間ほど前にさかのぼる。それは、次の土曜、新都に遊びに行きませんか」という、美綴綾子からの申し出であった。その日は特にセイバーの予定もなく、彼女はふたつ返事でその申し出を受けた。
 しかし、当日。セイバーが待ち合わせ場所に行ってみると、四人の様子が明らかにおかしかった。四人とも、それぞれ個性こそあれ、どちらかと言えば生来明るい気質であることは疑いなく、遊びに行く日ともなれば、晴れやかな表情も見せてくれる人たちである。それが、揃いも揃って、陰った表情でセイバーを迎えたのであった。更に、その中の一人、蒔寺楓の腕にはギプスが巻かれている。何かあったか、と、セイバーはそう判断した。
 果たして、合流直後。綾子は「折り入って話がある」と切り出し、四人は待ち合わせ場所からほど近いスターバックスに向かい、席を取ったのであった。

「話とは、一体?」
「実は――」

 セイバーの求めに応じ、綾子は、ここに到る事情を彼女に説明し始めた。

 一週間後の週末、冬木では、新都を中心に市主催のイベントが開催されることになっていた。その名を、「冬木市民芸術祭」。近隣の市町ではかなり大がかりな宣伝が打たれており、セイバーも当然その開催を知っている。コペンハーゲンなど、衛宮家と縁がある人々が関わっているイベントでもあり、セイバー自身も士郎と遊びに出かける予定であった。
 市民祭には、多くの屋台の出店など、色々な見どころがある。そのプログラムの一環として、様々な催し物の開催も予定されていた。音楽、文芸、絵画、彫刻と、そのジャンルは多岐にわたる。特に、中央会場に設けられたステージでは、参加者が楽しめるようなプログラムが多く設定されていた。
 そのうちのひとつが、三人一組で出場するダンスコンテストであった。入賞グループには中々に豪華な賞品が用意されており、綾子たちも、由紀香を監修に、残る三人でユニットを組んで、このコンテストへと参加することになっていた。




 ――昨日の夕方、までは。
 しかし――




「昨日の練習で、コイツがやっちまいましてね……」

 と、綾子は楓を親指で差す。「面目ねえ」と、楓は恐縮しきりである。綾子が続けたところによると、彼女たちが演目に選んだのは中々に激しい動きを伴うダンスなのだが、楓は更に一歩進んだダンスを志向し、訓練中に複雑な動きを試してみたのだ――恐らく、いつもの楓らしい、好ましくも無茶な「暴走」であろう、とセイバーは想像した――という。もう一歩踏み込み、具体的に表現すれば、無謀にも、ブレイクダンス風のソロパートを入れようと試みたのである。綾子、鐘に事前に伝えることもなく、楓は通しの練習中にソロパート挿入を敢行した。

 そして、ソロパートが終わる、その時。楓が、スタジオの床に右足を衝いた瞬間――

「あ、コレはヤバい、と、あたしの中の動物的な何かが脳に直接語りかけて、」
「つまり、足首を捻って全治おおよそ二週間の捻挫を負ったわけです」

 楓の言を遮り、鐘がきっぱりとストレートに結論を述べる。幸いにして骨に異常はなく、二週間もすれば陸上部の運動にも復帰できる程度らしい。が、時間的に、一週間後のダンスコンテストに出場するのは不可能であった。

 選択肢はふたつ、代役を探すか、辞退するか。が、ダンスの習得は中々に難しく、運動神経が要求されるため、由紀香には荷が重い。これは、陸上部のマネージャーも務める彼女が、自分で自分を冷静に分析して出した結論であった。

 ならば、と、色々と当たってはみたが、時間がないこともあり、各方面への打診は空振りに終わった。遠坂凛にも声をかけた、というが、さらりとかわされている。さもありなん、と、セイバーは苦笑した。憧憬の対象として見られる分には構わないが、敢えて目立つポジションに出るのは魔術師の家系として宜しくない、ということでもあるだろう。

「綾香ちゃんもダメだったんだよね……」
「あの御仁のスペックであれば問題なかったと思うのだが、『私はインドア派だから』の一言であったな……。しかし、穂群原にあたりがつけられぬのであれば、と、我々は方針を転換しました。広く同年代女子の知り合いを考えてみよう、と。そして、この結論に到るまで数十秒もかかりませんでした――何故、その時まで話題に上らなかったのか、分からないくらいです。運動神経という意味では冬木、いや、三国無双とも思える女傑が衛宮邸におわすではないか、と」

 鐘がそう発言したのを聞いて、セイバーも話を理解した。

「セイバーさん……蒔寺楓、一生のお願いです! あたしに代わって、きらめくステージにこの二人と出てやってはくれませんでしょうか……ッ!」







 ――そして、冒頭に続く。


 つまり、そういうことである。セイバーに、楓に代わって綾子、鐘とユニットを組み、一週間後のダンスコンテスト『THE IDOLM@STER of FUYUKI』に出場して欲しい、という依頼。それが、この会合の主目的であった。

 セイバーは、口元に微笑みを浮かべた。綾子、楓、鐘、由紀香という、冬木という地でセイバーが得た、莫逆の友の頼み。当然、回答は決まっていた。

「分かりました。受けましょう」
「ほ、ホントですか!?」

 楓が、喜色の混じった声と共に顔を上げる。他の三人も同様であった。

「ええ。して、どのような動きをすべきか、資料などありますか」

 決断の後は、行動である。既に、かつて果断なる勇将であった彼女の思考は、「ダンスコンテストでの成功」という、「勝利」に向けての戦術を構築する段階に入っている。

「あ、このDVDに入ってます。練習は明日の昼に新都のスタジオで予約入れてますんで、それまでに一通り見るだけ見ておいて頂ければ。十一時くらいに迎えに来ます」

 綾子が、鞄から取り出したDVDをセイバーに渡す。セイバーはそれを受け取ると、力強く彼女たちに告げた。

「分かりました。是非、成功させましょう」
「ありがとうございます!」


 そして、彼女たちは煌めくステージへ――。
 一週間後の祭典に向けた動きが、今、始まった。






「ダンスコンテスト、かー」
「ええ」

 帰宅後、セイバーは先刻の話題を士郎に披露していた。アイドル、どころか芸能事情そのものに疎い士郎には今一つピンとこない話だったが、セイバーらしい、ということは良く分かる。彼女は、困っている友人を見捨てておける人物ではない。そして、セイバーが受けたのであれば、士郎に反対する理由など無かった。

 ……少なからず、見てみたいという気持ちもある。

「じゃ、オレも手伝うよ」
「ありがとうございます、シロウ」

 セイバーが立つ、というのであれば、それを支えるのは自分の役目、と士郎は心得ている。もちろん、彼が歌って踊るということではない。練習時、休憩の合間に飲み物やおやつを用意したり、脇から見て気付いたところを言ってあげたり、美味しい食事でサポートしたり、と、してあげられることはたくさんある。

「で、それが例の」
「はい。綾子に借りて来ました」

 セイバーの前に置いてあるDVDを、士郎は手元に引き寄せた。彼女が挑むダンスプログラムはこの中に録画してある、という。

「まずは一度見ておいて欲しい、とのことでしたね。詳しい指導は明日の練習から行うから、と」
「なるほど」

 DVDの表面には、マジックで曲名らしき英文が走り書きしてある。

「『READY!!』、か……」

 と、呟いてみたが、士郎の知識の中には該当する曲が無い。

「最近人気急上昇中のグループ、とのことですよ」
「そう、なのか」

 士郎は、セイバーにDVDを返した。ディスクを受け取ったセイバーは、テレビ下のレコーダーのトレイを開け、そのままセットした。手慣れたものである。生まれは中世のセイバーだが、こういうところに現代への順応が良く現れている。士郎の見立てでは、少なくとも、遠坂凛の三十倍は精密機器の扱いが上手い。

 レコーダーがディスクを読み込み、やがて映像がテレビに映し出される。綾子の言う通り、無駄なく編集されており、開始してすぐにダンスのシーンが始まった。

「へえ」

 ハイテンポなポップス、と言えばいいのだろうか。賑やかで、明るくて、気分が昂揚するような曲――と、士郎はそう思った。中々こういうメロディは聞く機会も無かったが、悪くない。

(それに……)

 画面の中では、自分と同年代であろうと思われる少女三人が、眩しいばかりの笑顔を振りまいて踊っていた。決して「作っている笑顔」ではない――と、士郎にはそう見える。心から演じていることを、ステージにいることを楽しんでいる表情。こういう世界もあるのか、と、士郎は新たな世界を知った思いだった。

 曲が終わり、一瞬の静寂の後、聴衆の歓呼が沸き起こる。それに手を振って応える少女達――と、そこで、DVDの映像は切れていた。

「ふむ」

 セイバーは、と士郎が視線を移すと、大きく頷きつつ腕を組んでいる。

「どうだった?」
「中々にキレのある動きです。これほどの身のこなしを習得するには相当の修練を必要とするでしょう」
「なるほど」

 セイバーの目つきが、武人、達人モードに入っている。対峙する相手を分析するように、ステージの映像を見ていたのだろう。

「で、行けそうか?」
「そうですね」

 セイバーは、リモコンを操作し、頭出し機能で再び映像をはじめに戻しつつ、士郎の問いに答えた。

「かなり特殊な動きですが、不可能ではないと思います。もう少し、別の角度からの資料が欲しいところですね……綾子に聞いてみないと」

 セイバーがそう言う以上、美綴たちは百万の援軍を得たに等しい、と、士郎は思う。彼女の分析力に間違いはない。それが「ダンスを踊れるかどうか」ということであっても、彼女の経験と実力に裏付けされた判断であれば、信頼できると言っていい。

 あとは、情報提供や練習の便宜を綾子たちに任せておけばいいだろう。とすれば、セイバーの鞘たる士郎の出来ることは――

「お茶、おかわり淹れてくるな」
「お願いします、シロウ」

 引き続き、ステージに見入るセイバーに声をかけ、主夫は台所へと立ち上がった。さて、まずは美味しいお茶を。はちみつレモン等々、エネルギーを効率よく摂取出来るおやつのレシピも確認しておかないと、と。士郎はセイバーを微笑ましい目で見守りつつ、後方支援モードに入っていた。






「――」
「――」
「……」
「……」
「……あの、如何でしたでしょう」

 ラジカセから流れるBGMと、床を踏みしめるセイバーのステップの音が止み、練習場が沈黙で包まれた。その静寂を破ったのは、セイバー自身の、やや困惑した声だった。

 セイバーが美綴たちとステージを共にすることが決まった翌日、日曜の昼下がり。冬木某貸しスタジオで、彼女たちの初練習が行われている。約束の午前九時に集まったのは、美綴綾子、氷室鐘、蒔寺楓、三枝由紀香、そしてセイバーの五名。各自ジャージと室内運動靴を揃え、一週間後の本番に向けて基礎を作り上げる練習に――と、セイバー以外の四人は、そうした心構えでこの練習場に集まっていた。

 しかし、彼女たちは、セイバーという傑物の能力を正確に把握していなかった、と言っていい。

 五人が集まり、挨拶を交わした直後、セイバーはこう切り出したのである。

「ひと通り練習してきましたので、少し見てもらえますか」

 と。

 綾子たちはその意気に感動し、早速ラジカセを用意して、ステージ用の音楽を流した。
 ――直後。一連の流れを把握していてくれればありがたい、くらいの心で見ていた彼女たちは、呆気にとられることになった。いや、より正確には、魅入られた、と言っていい。

 セイバーのダンスは、完璧だったのだ。

 いや、もちろん、細かいところを見れば差異、改善の余地はある。しかし、『パッと見』でいえば、まず間違いなく『踊れている』と評価できるレベルに達していることは間違いなかった。
 余人ではこうはいかなかっただろう。セイバーは古今無双の武人であり、卓越した動作解析力、運動神経、理解力を持つ。それゆえの結果である、と言えた。
 ポニーテールにまとめた美しい金髪が舞い、華麗にステップを踏み、ターンを決めていく姿は、テレビからアイドルがそのまま出てきたのではないか、と思わせるほどだった。
 ダンスが終わり、綾子たちは、見惚れていたままフリーズしたかのようになった。それが、セイバーの一言で、一気に氷解した。

「す、凄い……! 凄いですよセイバーさん!」
「ブラボー……おお、ブラボー……!」
「流石はセイバーさん、素晴らしい。これで勝てる」
「綺麗……本当にアイドルみたいです……!」

 綾子が駆けよってセイバーの手を取り、楓は怪我をしていない足で飛び上がり、盛大な拍手を送る。鐘は諸葛扇を手にして勝利を確信し、由紀香は感動で目を輝かせていた。

「恐縮です。しかし、まだまだ改善の余地はありますし、動きを合わせてどうなるかも分かりません。早速練習を始めましょう」
「はい!」

 セイバーは賞賛を笑顔で受け止め、言葉に力を籠めた。楓が怪我をして、また一からスタートか、と消沈していた雰囲気も一掃され、五人の士気は最高潮に達した。

「よし、ここから先はこのあたしがマキデラPを襲名し、スパルタ式のレッスンを行う! 任せろパーフェクトレッスン!」

 早速楓がノリノリでプロデューサー就任を宣言する。セイバー、綾子、鐘の三人がそれぞれ自分のポジションを確認しつつ音楽に合わせて踊ったり、細かい箇所の動きを確認したり、と、スタジオでの練習が始まった。楓が練習を見つつ指示を出し、由紀香は陸上部仕込みの心遣いを発揮して、三人がレッスンに集中できるようサポートする。もともと親友の間柄である、ということもあり、五人のチームワークは既にほぼ完璧、と言ってよく、練習の密度も非常に濃いものになっていた。






「お邪魔しまーす……と、やってるな」
「ん? お、誰かと思えばセイバーさんの嫁」
「嫁ってなんだよ……いや、差し入れを持ってきたんだけどな」

 そんな練習も半ばに差しかかった頃、士郎がスタジオを訪れた。手には風呂敷包みにエコバッグ。ほとんど買い物帰りの主婦の様相であり、楓の感想もあながち外れているとは言い難い。なお、包みの中身はタッパウェアであり、はちみつレモンが入っている他、エコバックにはお手製のスポーツドリンクやバナナを使ったおやつなどが救援物資として用意されている。当に「主夫」であった。

「よし、御苦労。この通し終わったら休憩とする。あたしは今そう決めた」
「なんか、邪魔したみたいで悪いな。で、どうだ? 行けそうか?」
「おう。このマキデラP、これほどの逸材トリオを見たのは史上初と言っていい……人類史に残るアイドルになるぜ、この子たちは……!」
「P?」
「あ、プロデューサーの意味、だと思いますよ」
「な、なるほど……」

 士郎は由紀香の解説に困惑気味に頷き、楓の座るパイプ椅子の横に腰を下ろした。昨日、セイバーと一緒に見たDVDで流れていた曲だな、と、彼はその記憶を蘇らせる。
 傍から見ても、三人の動きはかなり完成度が高いように見えた。鐘と綾子は既に相当の修練を積んでいる筈だし、セイバーも様々な経験や天賦の才でそこに到達しているのだろう。彼女が昨日、ポータブルのDVDプレイヤーを活用し、ひたすら練習に打ち込んでいたのを士郎は知っている。

(それにしても……)

 と、士郎は思う。入ってすぐ、セイバーの表情を見て、感じたことだ。真剣な表情と躍動する身体が美しい――と、いうだけでなく。どこか、いきいきと輝いている印象を受ける。普段の彼女もそうなのだが、またそことは一歩違った溌剌さを備えている、と言えばいいだろうか。
 考えてみれば、その少女時代を騎士としての修行、王としての統治に費やしたセイバーにとって、同輩・親友の少女たちと「何かの目標」に向かって一緒に努力し、汗を流す、というのは、滅多になかった経験だろう。あるいは、幼少のころにそういう記憶があってもおかしくはないが、いずれにせよ数は多くないだろうし、そこから時間も経っている筈だ。
 セイバーの表情からうかがえる気力の充溢は、恐らくそういうところからも来ているだろう。青春の歓びを、今、彼女は当に体験している最中なのだ、と。士郎は、そう理解した。

(本番が、楽しみだな)

 素晴らしいこと、と、士郎は思う。これもまた、冬木を生きるセイバーが得る、貴重な経験のひとつになるだろう。
 情熱的に踊る三人を見ながら、士郎もまた、幸せな気持ちになる。ここにいる彼女たちがもっと楽しめるよう、色々と心を尽くそう、と、彼は決意を新たにした。






 ――そして、「冬木市民芸術祭」当日。


 前の日曜日以降、練習を重ねてきたセイバー、綾子、鐘、そして自称プロデューサー・蒔寺は、観客席から応援の由紀香や士郎らと別れ、いよいよステージを目前に控えていた。

「いよいよだなー。マキデラP渾身のプロデュース、どこまで全国に通じるか……」
「全国……? いや、単なるローカル市民祭だが……」
「ふふっ」

 ボケる楓、冷静にツッコミを入れる鐘、と、ステージを前にしながら、二人は比較的「いつも通り」だった。多少の緊張はあるだろうが、少なくとも極度の緊張で動けなくなる、という事態は考えなくてよさそうだ。

 セイバーが気がかりなのは、綾子であった。

「綾子。本当に、身体におかしいところはありませんか?」

 セイバーは、そう綾子に問うた。
 どうも、朝に集合した時から様子がおかしいのである。
 あるいは、と、セイバーは不安を抱いていた。綾子もまた武術に通暁した女傑であり、その動きは洗練されている。即ち、自分の体のことを良く知っていて、「そのこと」を誤魔化すだけの技術を持っている。恐らく、普通の人間が見れば、綾子はいつもの美綴綾子にしか見えなかったであろう。
 しかし、セイバーには彼女の動きにわずかな違和感を見ていた。

「いや、大丈夫ですけど……」

 笑顔で返す綾子は、自然体だ。緊張する風もなく、目前のステージを楽しみにしている、という様子にしか見えない。しかし、セイバーには、視える。達人としての眼力、そして、数多の戦場を駆け、負傷した将兵と間近で接してきたが故の経験がある。そこから導き出される違和感は、気のせいではない可能性が高い。

「失礼」
「セ、セイバーさん……!?」

 おもむろに、セイバーはしゃがみ、綾子の左手首を掴んだ。

「ッ、……」
「やはり、怪我をしていますね、綾子」

 綾子の顔が歪むのを確認して、セイバーは静かに、小さくそう言った。触れた感触や、綾子がなんとか誤魔化せていたことから、深刻というレベルの怪我ではなさそうだが、激しい動きが出来るかどうかと言われれば、厳しい――セイバーは、綾子の怪我の程度をそう判断した。

「あはは……やっぱり、セイバーさんの目は誤魔化せないか……」

 綾子は苦笑しつつ、事の顛末をセイバーに語った。

「昨日、最後にもう一回練習しておこうと思ったんですけど、その時にちょっとコケちゃいまして……。でも、大したことないですから」

 セイバーは、じっと綾子の瞳を見つめた。綾子は少したじろいだが、その真剣なまなざしに応えたのか、誤魔化すような笑いを消し、セイバーの瞳をまっすぐ見つめ返してきた。

「本当に、大丈夫なのですね。ステージを、最後まで務められる、と」
「――はい。痛みはありますけど、動けないってもんじゃない。それに、ここまで練習してきたんです。こんな怪我で台無しにはしたくない」

 その言葉には、渾身の力が籠められていた。少なくとも、そこに嘘偽りは存在しない。セイバーは、綾子の意気を確認したかった。彼女がそう言うのであれば、後は仲間として、その意志を最大限に尊重するだけだ。

「分かりました。綾子を信じます。しかし、鐘と楓にも説明して、万一の時の備えはしておくべきだと考えます」
「……わかりました。迷惑かけたくなかったんですが……黙っていて何かある方が、カッコ悪いですからね」

 セイバーの説得に、綾子も首を縦に振った。それでも尚、厳しい状態には変わりない、が、鐘と自分が把握していれば、万一の時もフォロー出来る可能性はある。
 この一週間、協力し、団結して準備を重ねてきた。その努力を、結果に結び付けたい。何かを成し遂げたい、という想いが、セイバーの中にもある。それはきっと、他のメンバーも同じなのだろう。そうでなければ、怪我を押してステージに立つ気概など持つことは出来ない。

「次、十番『ジュラク』さんステージに上がってください。十一番、『うぎゃあ』さん、準備お願いします」

 取次のスタッフが、マキデラPの命名したグループ名を呼ぶ。綾子たちは、出場十二グループのうち、十一番目にステージに立つことになっていた。一グループに与えられる時間は、曲の時間+α。出番まで、あと五分程度と考えていいだろう。詳しい説明をし、対応を綿密に検討する時間はない。

「鐘、楓。少し、よろしいですか」

 観客席からの歓呼とBGMが控室を包み込む中、セイバーはメンバーたちを集め、綾子の症状に関して簡単に説明した。

「――それでも、綾子はステージに立つ気概を持っています。私も、完遂してくれると信じている。鐘、楓、あなたたちはどう考えますか」

 その問いは、賭けでもある。もし、この情報に対して怯むところがあれば、恐らくステージは質の高いものにはならないだろう。恐れを抱いての動きは、常に歪みを伴うものであり、高度な動きを要求される時には、その違いが大きな結果の差異になって現れる。
 が、セイバーには、確信に近い推測があった。

「や、こいつが出来るって言うなら、出来るでしょ」
「同感です。美綴嬢がやる時はやることくらい、良く知っていますからね」

 その情報を聞いても、二人は全く動揺を見せなかった。セイバーの想像通り、である。

「ならば、行きましょう。私たちは、このステージを完遂する。その誓いを、果たしに」

 心技体、と、良く言われるものだ。だが、技と体が備わっていなければ、心がいくらあっても足りはしない。逆に言えば、技・体を卓越したものにしているならば、心の充実がその他の不調を補うこともある。
 しばしの間、集った四人の間に静寂の時が流れた。当然、ステージでは大音量で音楽が流れているし、ノリの良い冬木の市民による歓声も上がっている。だが、集中している五人は、一種の『結界』の中に居るようなものであった。

 イメージは、完璧だ。あとは、行くだけ、である。

「いいか、あたしが信じるみんなを信じろ。1、2、3――」

 マキデラPのカウントダウンに、極限まで高めた感覚が解放されていく。
 合言葉は、もう決めてある――そう――。


「「「「トップアイドル!」」」」


 四人は人差し指を天に向け、高らかにそう宣言した。

「十一番『うぎゃあ』さん、出番です! どうぞ!」

 直後、スタッフのコールが聞こえ、氷室鐘、美綴綾子、そしてセイバーの三人はステージへの階段を駆け上がり、観衆の前へと飛び出した。
 音楽に合わせ、三人はステージ上で躍動した。その「輝き」は観衆をも魅了し、更にその場はヒートアップして行く。もともとが眉目秀麗な三人が流行のアイドルソングに合わせて乱舞する姿は、それこそ「本物」と思わせるほどの迫力に満ちていた。

「……やり遂げ、ました……!」
「ええ、素晴らしかったです。練習の甲斐がありましたね」
「ふふっ……いや、素晴らしい、経験でした」

 曲が終わり、大歓声に応えつつ、三人はステージを降りた。肩で息をしている綾子、鐘とは対照的に、セイバーは涼しい顔をしているが、これは経験と体力の差、であって致し方ない。だが、その頬は、興奮からか、少しばかり上気している。

「いやー凄かったぜ! 流石はマキデラPが送り出したトリオだ!」

 楓もまた、満面の笑みである。四人は健闘を讃え合い、このステージの感動を分かち合って――、



「本当、凄かったです! ボクたちより上手かったかも……」
「ふふ。いえ、しかし、良いものを見せて頂きました。ありがとうございます」
「うんうん、お客さんもいい感じで盛り上がってるの!」



 ――いたところ、に、である。



「え?」

 聞き覚えのある声が、四人にかけられた。何処で、だったか――と、セイバーは一瞬首を傾げる。直後、その記憶が何処から来ているか、悟ったセイバーは、かなりの勢いで声の方向へと振り向いた。

 残る三人も同じ、だったらしい。
 その声は――そう。セイバーが貸してもらったDVDに収録されていた、とある歌番組のインタビューパートで流れていた声と、全く同じだった、のだ。

「う、うおおお……」
「ほ、本物……!?」
「……これは、聞いてなかった……ぞ……本気出し過ぎじゃないのか、冬木市……!」

 楓はもはや声にすらなっておらず、綾子は呻くように呟いた。鐘は、父である冬木市長が画策したであろうその「サプライズ」に、天を仰いで苦笑を浮かべていた。

「い、いつも応援してます! あ、握手してもらっていいですか!?」
「ええ、もちろんです」
「へへっ、よろしくね!」
「応援ありがとうなの!」

 上ずった声の楓の「お願い」に、その「三人」は気さくに応じた。四人は、その手の柔らかさに、ただ感動するばかり、である。

「十二番『765エンジェルズ』の皆さん、準備お願いします!」
「はい! それじゃ、行っくぞー!」
「応援、よろしくお願い致します」
「それじゃ、また後でね♪」

 スタッフの呼び掛けに応じ、「三人」は、ステージへの階段を駆け上がって行く。
 菊地真、四条貴音、星井美希――紛うことなき「今を煌めくトップアイドル」のサプライズ登場に、会場からは地響きを起こすような歓声が天を衝いた。

「こんにちはー! ボクたちのステージ、楽しんで行って下さいね! 曲は――『CHANGE!!!!』」

 セイバーたちが選んだ曲と並んで世を風靡している楽曲が流れ、その音に乗って、三人は『本物』が如何なるものか、を、そこに居る全員に魅せていた。

(凄い……)

 セイバーも、魅了されている一人、である。ステージの上で躍動する三人は、美しく、煌びやかで、華やかであった。
 これも、現代に生きる彼女が得た、得難い経験と言っていい。
 セイバーはまたひとつ、胸に大切な思い出を刻んだ、のであった。




 ちなみに――菊地真、四条貴音、星井美希もシークレット審査員として参加した『THE IDOLM@STER of FUYUKI』コンテストの最優秀賞は、No.11「うぎゃあ」が獲得。マキデラPの雷名は冬木に轟き、商品としてアイドル三人のサインが入った765オールスターズライブの3組6人チケットが手渡された、という。



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