「なっ……」
「…………?」
と。またも正月に、セイバーは衛宮邸・台所で凍ることになった。
いや、ちょっと。正月だけで考えれば、2年連続?
もちろん、正月以外で見かけたこともなくはない、のだけど。直接鉢合わせたことはなかった──取り敢えず、避けていた──ので。
「なんでまた、お正月に、ここに」
「その前に」
優雅に、穏やかに、しかしながら冷徹に。
『彼女』は、言葉をつづけた。
「あけましておめでとう」
「あ、あけましておめでとうございます。……いえ、いや、そうではなく」
「ふむ。『何故、私が此処に居るか』。愚問が過ぎるでしょう、そちらのアルトリア。ここは、邪なる意図が無ければ、来る者拒まずの梁山泊的サロンと聴いています。私もまた、当然に、一人の客ということです」
「くっ……」
セイバーの目の前に居るのは、またもやモルガンであった。とある異聞帯の女王であり、しかしながら汎人類史の自らからも情報を得ている、セイバーにとっては大変にやりにくい「姉」。度々衛宮家の敷居を跨いでいるのは感じていたが、しかしまた、連続して正月とはどういう……。
「で、その客が、何をしているのです」
「料理、ですが」
いつぞや、ランサーが衛宮邸に鮭を持ち込んだ時のポーズで固まるセイバーを全く意に介さず、女王は続ける。というか、なんか割烹着で和服で、とっても似合っている点、どうかと思うセイバーである。
そうではなく、である。
「……あの、此処は衛宮家の台所、であって」
「要点は、既に抑えています。端的にいえば、材料を間違えず、処理を間違えず、分量を適当にせず、時間を厳密に謀り、奇を衒わなければ、決して不味いものが出来ることは無い作業です。このような単純な業に苦しむ輩が居る、というのもおかしな話です」
セイバーの問い掛けには、ほぼ無視一辺倒。
これだから天才王侯貴族は、と、セイバーは思う。それは、それとして。
「とはいえ、『妻の手料理』という存在は、世の夫にとって滋養強壮の肝であると、いう世界観もあるとか。しかしながら──そうですね。その点──学べるのは、あの少年が適役であった、というだけのことで」
「う……」
「教授経験も豊富、と、主にコルキスの魔術師あたりからも聞き及んでいました。ええ、その点は認めざるを得ない。ふふ……顔は終始引き攣っていましたが、教え方は上手でしたとも」
つまり、シロウには料理は学べるが、セイバーからは不可能である。
そのことを遠回しに宣言され、再度セイバーの精神はダメージを受ける。今日のモルガンは、強い。実に。
かつてブリテンで対峙した悪辣さそのものでしかない。というか、何回か来ていたのはそのためだった、とは……。
「正月のおせち料理、とやらは、雀の女将が采配して、徹底して用意されていましたので。私は、別の方面から攻めることにしました。美味しい、されどどこか『何か』が物足りないおせち料理の中で、差し入れられる手料理の弁当──夜更かしして楽しむ正月の夜のために、少々夜食向けに、また若人向けに、カロリーは高めで──合理的でしょう?」
合理的過ぎる。おせち料理の何たるかも知り、かつ、「少年」が求めるものまで、完璧に把握している、といっていい。本当にこの目の前の悪女は、数千年の時を経た存在なのだろうか、と、セイバーはいぶかしんだ。
「し、しかしですね」
「?」
「その鍋はなんです? その、何ともいえない、色」
セイバーはしかし、せめてもの反撃を試みる。ぐつぐつ、と、コンロにかけられた鍋の中では、碧色に光る「何か」が、煮込まれていた。
「ああ、これ」
ととと、と、しょうがを微塵切りにして、傍らの折詰重箱に入れたミニ冷奴に載せ、料理の仕上げとしつつ、モルガンはそっけなく答える。
「毒物、にでも見えましたか。丁度出来る頃合いです。呑んでみるが良い」
「……?」
そう言うと、ガスを止め、モルガンは短く何事かを詠唱する。煮え立っていた鍋の中身は即座に冷え、彼女はお玉でコレを救い、コップに入れてセイバーに差し出した。
(……まあ、毒見は必要です)
恐る恐る口にするセイバー。
と。
「──美味し、……あ、いえ、ええと」
「──(※ふふん、といった顔)」
素直に、そんな感慨が口をついて出るくらい、そのドリンクは、美味しかった。
ベースはブルーベリー、であろうか。そこに爽やかなミントの香りが合わさり、極上のヨーグルトドリンクといった味わいになっている。……何ゆえに碧いのかは、不明であるが。
「当世の流行りに乗っただけのこと。エナジードリンク、でしたか。人間全般、或いは、サーヴァントの中でも画や文を業とする面々のいくらかは、何故か年末に著しく体力を消耗するものと教わりました。であれば、疲れを殺せばいい。簡単でしょう? 加えて、胃を傷めないよう、比較的穏やかなベースで作ってあります」
強烈な殺気を放ちつつ、やっぱり彼女はバーサーカーなのだ、とセイバーに感じさせる狂気を孕んだ言い回しで、モルガンは宣言した。
「では、これは」
「要は、いくらかの薬草を調合してミルクベースで練り込んだだけのものです。勿論、一杯飲めば、疲れは一片もこの世に残らないよう配合してあります。これを我が夫名義でカルデアに流通させれば、株が上がるでしょう。糟糠の妻、という概念も、学習済みです」
隙が、無い。
ついでに言えば、既に第一弾は出来ていて、衛宮邸冷蔵庫に2L入っている、という。
セイバーは、何か得体のしれない生き物を見る心地すら覚え始めていた。
「さて」
重箱に丁寧に蓋をして、風呂敷で包み、鍋を何らかの魔術で転送させたモルガンは、セイバーの傍らを通り、台所を去る。
「我が夫に弁当を届けますので、これで。……ああ、そうです」
すれ違いざまに、モルガンは宣言する。
「また来ることもあるでしょう。そのうち、工房が必要になるやも……というわけで、場所代として、いくらか、私特製の礼装を客間に置いてきています。ここに出入りする魔術師と、吟味しておくように」
止めに、来訪先への気配りまで見せつけられる。
……いや本当。どうしてしまったのだ、『我が姉』は。
「モルガンさん。お帰りですか?」
「ええ。佳き正月を。また近々、来ることもあるでしょう」
廊下でのやりとりが聴こえ、直後、士郎が台所に入って来る。
「あ、セイバー」
「シロウ」
亭主の顔を見て、セイバーは、複雑な表情を浮かべつつ、宣うた。
「今年は、もっと料理を勉強しようと思います」
「お、おう? がんば、ろうな……?」
それは、それとして。かの姉に、「妻」としての行動で、後れを取るわけにもいかない、と。セイバーの負けず嫌いモードが密かに発動して。
きょとんとする士郎を他所に、セイバーにおける一年の抱負のひとつは、今此処に、こっそりと定まったのであった。
☆
「美味しい……!」
「それは何より。ええ、私自らが腕をふるって、その結果にならない筈はありません」
と、弁当の行先であるカルデアのマスターは、満面の笑みで夜食を喫し、傍らの陛下は、目立たないドヤ顔を浮かべている。
……良い。実に。
二人で、食堂で、ちょっとした悪行──カロリー高めの夜食、を実施する。
それで喜んでくれる、なんて。
こんな瞬間が、「妻」としての幸せなのだ。
そして──あの「衛宮邸」には、まだまだそんなヒントが埋まっているだろう。
(分析を、続けなければなりませんね……)
陛下の「妻」修行。その道は、遥かな先へと続いている。
しかし、孤独な行、ではない。常に、共に歩いてくれる人がいる、未来。
その幸せを噛み締めつつ。彼女は小さく笑って、彼の食べる姿を見守るのであった。
了
あとがきへ
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