「――?」



 ここは、何処か。
 今は、何時か。
 そもそも――己は、何者か。


 ゆっくりと起きあがった男は、首を傾げ、周囲を見回した。



“――人間性を捧げよ。”



「……?」


 重厚、か。いや、不快なのか。それとも、魂に響くが故に、心が囚われるのか。
 男の耳に、そんな声が届く。

 人影は、無い。深い、昏い、滝の音が響く谷の間、草むらに囲まれた、屋根のある場所に、自分は居るらしい。
 ……人間性? それは一体、何であったか。
 ……良く、分からない。分かってはいけない、そんな気もする。


「……、……」


 男は、ゆっくりと立ち上がった。それだけの動作をするのに、凄まじいまでの痛みが全身を駆け巡っている……ようだ。
 それでも、男は悲鳴どころか、声ひとつ上げなかった。
 さて、おかしい。痛いのは、確かだ。だが、痛みに対してどう反応すべきか――そのことを、覚えていない、らしい。


「――、――」


 男は、首を振った。考える器官は摩耗し、とうの昔に正常な機能を失っている。
 だから、考えるだけ無駄なのだ。




 ここは、何処か。
 今は、何時か。
 己は、何者か。




 もう、思い出せないし、そもそも、思い当たらないことなのだ。
 そう――、――己は、亡者――に、なろうとしているのだから。




 ならば、この場で膝を折っていいだろう。
 己を放棄し、永遠に眠る。それが、最も合理的な解、なのであろう。


「……、……」




 ――それでも。




 立ち上がった男は、一歩、その左足を前に踏み出した。


 向かわなくてはならない。
 行かなければならない。
 どれだけ摩耗しようと、覚えていることがある。
 心が折れても、その輝きを思い起こせば、身体が動く。


 あの輝きへ。
「彼女」が見せてくれた、黄金の輝きを追って。



“――絶望を焚べよ。”



 そして――その向う側へ――彼女を、迎えに行かないと――。




 ――それが、彼の使命であるのだから。





BONFIRE LIT.



帰還の骨片