最後、その人格が消える、少し前。
ひとつだけ、気になっていたことがあった。
それは、人格(オレ)の元になったヤツのコト。
そいつには、確かに―――ひとつ、自分のための願いがあった。
もう過去のこと。だけど、何より。こんな、欲望を悉く否定するようなヤツが、たったひとつ。
信じられないのは、ソレは叶えられた願いだったってコト。そうしたいなら、そうできる瞬間があったのに、そいつは。
いや、 だけじゃない。もう一人、 も。
手に入る幸せを全て擲って………サヨナラしやがった。
都合のいい幸せを、都合よく受け止められない、骨の髄から捻じ曲がった正義の味方。
………反吐が出る。何もかも、全部否定してやりてえくらいに。
なんつー偽善。望外の贅沢だ。ある日突然何もかも幸せを剥奪されることもあるってのに、それをうっちゃる。あれだよ。飽食ってヤツ?食うものも足りねえ人間からすれば、そりゃあ不快にも映るってもんだろ?だったらオレのも同じさ。
でもまー………。
誰だったか。「何処にでも居るようで、何処にも居ない」って言ったのは。ソレ大賛成。俺が言うなら間違いない。
つまりコイツはそんなヤツ。誰か、明確な導でもなきゃあフラフラ消えちまう。
我ながら馬鹿馬鹿しい。反吐が出るってのは、そういうことなんだが。
だけど………ほら、なんだ。まだ、手はあるんだよ。もうギリギリ、0,1秒も残ってないんだけど。
聖杯になった俺は、まだそこに居たんだから。
今度は、じゃあ、「俺」にごほうびを。
貸してくれたモノには返礼を。
馬鹿みてえなマゾヒストに、とびっきりのシアワセを。
なんだ、こう言うと、当てつけみたいだけどな。
あと、最後に一つだけ。
ねがいを、叶えに行きましょう。
その記憶は、いつからオレの中にあったのだろう。
確かに体験するはずの記憶。
だけどまだ、体験するはずが無い記憶。
故に全ては曖昧。
多くは、ただ楽しく。本当に、夢のような。
それが、ここ2、3日で、ハッキリしたモノになって来ている。
記憶に、終わりが近づいている。
4日目。10月11日。全ては、そこで収束する。
そんなコトを考えて、一つ。
ただ、泣きそうになった夢があったのを、思い出した。
何故か。その時聞いたことを、思い出した。
彼の元を去り、死の淵へ帰る前、その一瞬に。
すごく、不興そうな声。
だけど同時に、優しい音。
「――――忘れ物だ。」
わすれもの。そう、それは沢山ある。出来れば、全部持って還りたいくらい。
ゆめのようなおもいでを、おいてきた。
それを、貴方が?
「ほら、持ってけ。落とすなよ?」
彼は、何を渡してくれたんだろう?
―――――――ああでも………これは。
「…………それと――――」
そんな言葉を、かけられた気がする。
その声音は、彼に似ていて。
「意地ばっか、張ってんじゃねーよ。」
心底不機嫌そうに、呟いた。
「アイツにはアンタが必要なんだ。お姫様。」
その夢に居た、彼の声は。
なぜか、そんなことを、思い出させた。
そこで、目が覚めた。
何か、すごく永い夢を見ていた気がする。シロウと、桜と、凛と、―――他にも、いろんな人たちと。
ここに居るはずの無い人とも。
みんないっしょの、たのしいゆめ。
傍らに眠っていたはずの少年が居ない。どうやら、今日は随分と寝過ごしてしまったようだ。優しい彼はきっと、起さないように出て行ってくれたのだろう。全く、見送りぐらいさせて欲しい、と、いつも頼んでいるというのに。
もう、随分と高くなった朝日が、差し込んでいる。
―――――あの時は、夕焼けだった。
夢を思い出して、胸が痛くなる。
今日は、10月10日。ユメの日付。
彼に告げたコトバが、痛い。
彼の顔が、今にも折れそうな心を、表していた。
「………シロウ」
居ても立ってもいられない。今すぐにでも、彼の元に駆けつけたくなった。
その夢が何を示すか。少しだけ、気付いてしまったから。
――――まだ、時間はある。
その時は、私が側に居ないと。
彼を支えるのが、私の役目なのだから。
「だからと言って予算を補填するわけにもいかんしな。いや、毎年のことだが、本当に助かっている。」
直しているのはプロジェクター。最近はDVDとパソコンの驚異的普及により、ちょっとした映画くらいなら生徒レベルでも撮れるようになっている。従って、映像作品で文化祭に参加しようと試みる企画も多いらしい。
「それで、コレだ。普段使わぬ分苔でも生えたか、どうにも具合が悪い。」
まあ、準備期間ってのは色々粗が出るものである。今まであると思ってたものが消滅していたり、素直に動いてたものが突然天に召されたり、貸し出したものが変形、いやまだこれだけならいいが、失踪届けだけ帰ってくることなんてのもザラである。
というわけで、こういう時の機材管理を一手に引き受ける「生徒会材料管理部門(通称:材管)」たる臨時職が毎年出来るわけだが、ここのサブメンバーとして非公式ながらオレの名前がインプットされているのだった。本当なら休日はオフなのだが、今日はたっての希望で参戦。その代わり、お昼には美味しい柿をいただいた。
「確かにこれは扱いがなあ。よく先生とかもフリーズしてるし……と、こんな感じかな。」
そんな時は場の空気を読んで出しゃばらないのが基本だが。頼まれない限りは。
スクリーンを下ろし、映像を確認する。うむ、上出来だろう。
「毎度ながら感心するな。いや、感謝する。」
「今日は結構あったもんなー。まだあるか?あるなら今のうちにやっちゃうけど。」
「心遣いありがたい。が、今日はここで仕舞いだな。後は月曜から、また少々頼むかもしれん。
さて、こちらはまだもう少し生徒会の事務があるのでな。衛宮は帰りか?」
「そーだなー………」
ふと、窓から、空を見る。
―――――茜の色が、心に突き刺さった。
「……………」
「どうした?衛宮。外になにか?」
「……………いや、先に上がらせてもらうよ。晩の準備もあるしな。」
慌てて、顔を見せないよう、席を立った。きっと、今の俺は、ひどい顔をしている。
「?……ああ、では、また月曜に。」
怪訝そうな声をだす一成に、振り返らず手を振り、教室を出た。
迫り来る哀惜の情は、一体誰のものだろう。
俺のものであることは、間違いないのに。
遠く、夕陽が見える。
遠く、笑顔が見える。
遠く、楽園が見える。
泣いてしまいそうで、足取りが重い。
校舎を出るのが、怖かった。
弓道場の方も、見ることが出来ない。
校庭で賑わう陸上部の掛け声も、辛かった。
何もかもが。
あの夢を、思い出させる。
――――そして、その先。
正門を、丁度出たところ。
彼女が、迎えにきてくれていた。
「――――――――」
言葉が、出ない。
朝、おはようも言っていない。だから、挨拶しなきゃいけないのに。その笑顔が見られて、俺は何よりも安らぎ、どんな時より嬉しいはずなのに。
発声機能を喪ったのか。それとも、何を言うか解らない怖れからか。
言ってしまえば、終わってしまうと思ったから、なのか。
案山子のように立ち尽くす俺に、しかし。
彼女は、優しく声をかけてくれた。
「迎えに来ました、シロウ。一緒に、帰りませんか?」
「――――あ、ああ。セイバー、ありがとう。」
と。俺は、何を考えていたのだろう。
彼女は、ココに居る。だったら、何をおそれることがあったんだろう?
いや、でも――――
この先で、俺達は。
「………シロウ、さあ。側についていますから、帰りましょう。」
彼女が、俺の手をとる。その、確かなやわらかさに、少し救われた気がした。
少し強く握り返して、彼女の笑みに応える。
だけど。足取りだけは、全く軽くなってくれなかった。
まるで、風邪を引いた重病人だ。十重二十重の疲れと寒気で、歩くのもしんどい、そんな感じ。ただ辛いだけではない。いつもと全く違う 自分の状態への不安が、足取りを一層頼りないものにしてしまう。
それでも、何とか、彼女と一緒に、歩いた。そこに居てくれるから、歩ける気がしたのだ。
そうして、坂に差し掛かったとき。
――――その記憶は。だって、とても楽しくて、貴重な時間だったけど。
きっと俺は、その時も。大声を上げて、泣きたかったから。
「あ、ああ、」
何かが、俺の中で崩れ去る。
偽りと知り。全てを飲み込み。終わりを択んだ、その瞬間。
果たせぬ約束は願望に果て。代わりに、悲壮な約束を結んだ、その刻。
俺は彼女と一緒に、こうして、同じように、夕陽を見ていた。
突然歩みを止めたからだろう。セイバーが、振り向いてこちらを見る。
「………シロウ?どうしたのですか?」
俺を見て、彼女は何を思ったのだろう。
セイバーの顔を見た瞬間。涙は、堰を切った。
「……え、……、セイバー、違う、でも、俺、確かに、ここで」
憔悴が、精神を覆う。破ることは容易ではない。あの時、彼女が見せた笑顔は、俺にとって何より美しく、尊く。
何より、儚かったから。
故に、これを止めるのは、自分では不可能。
だからこそ、彼女は、
「…………どうか、落ち着いてください。」
ぎゅ、と、しっかりと手を握られる。
―――――だからこそ。セイバーはここに、迎えに来てくれたのだろう。
開いた左手は、俺を抱き寄せる。
「落ち着いて。大丈夫です。」
顔は見えない。だけど、きっと、彼女は優しく微笑んでくれているのだろう。
「セ、イバー」
「……………」
無言の抱擁。普段の俺なら、見られることを怖れてすぐに離れているかもしれない。
しかし、今。その腕と、確かな体の感触が、俺にとって何よりのよるべに思えた。
「少し、疲れておられるようだ。何も、心配なさる必要はありませんから。」
絵的には、情けない構図かもしれない。大の大人が泣き崩れ、少女の胸でなぐさめられる。
こんな時。セイバーは、まるで聖母のよう。
抱く力に、声音に、悲壮さも、儚さもなく。
ただ、優しく、落ち着いて、と、そう語り掛けてくれる。
憔悴は相も変わらず、胸を焦がす。消滅への恐怖は、精神を蝕んでいる。だからこそ、その暖かさは、天上の揺り籠のようで。
「……………ありがとう、セイバー。」
そう呟いて、しばし。嬰児のように、身を預けた。
結局、その日は、そんな風に暮れていった。
帰ってからも、精神が安定することは無い。
一人部屋に閉じこもり、ずっと、怖気が去るのを待つ。
………あの俺は、こんな心で、あそこに立っていた。
それを考えるだけで、どうか、してしまいそうだった。
皆に心配かけるのは嫌だったが、今のまま皆と対面するのは、辛すぎた。
皆が居る食卓に、居ない人のコトを考えて、その感覚に襲われる。
「………ああ、なんて………」
美しい、世界だったのだろう。始まりは10月8日。終わりは明日。その、三日分の記憶が、俺の中で埋まっていく。
既視感というには、余りにも生々しい。きっとそれは、その楽園が、余りにもまぶしいから。
俺も、そう思っていた。
だから、あの夕陽に、怖れを抱いたのか。
「シロウ?」
夜半。もう、疲れで、まどろみに落ちようとしていたところに、セイバーが声をかけてくれた。
「あ、……セイバー。入っていいよ。」
俺の声を待っていたのだろう。そう言うとすぐ、障子が開いて、セイバーが入ってきてくれた。
先刻と変わらぬ穏やかな笑み。闇に慣れた目は、隠れてしまうはずの花も、しっかりと捉えてくれた。
「ごめんな。皆、どうしてた?」
「ええ。心配していましたね。シロウはこの家の主ですから。主が居ない食卓は、やはりどこか寂しくなってしまいます。
大河が大事にするように、と言付けていました。」
「そっか。……じゃあ、桜も、遠坂も」
黙って、セイバーは、うなずいた。
「………セイバー、は?」
「―――――」
彼女は、それに答えなかった。微笑みながら、俺の横に座る彼女は、どこまでいってもいつもの彼女そのもの。
そんな、何気ないことを告げる口ぶりで、彼女は、俺に用件を告げた。
「明日は、街にでませんか?新都に行って、そうですね、色々したいこともありますし。プールに行くのもいいかもしれません。最近はスイーツの店も多いと聞きますし………」
中々に魅力的な提案だと思う。が、正直そういう気分でも……と。
「いいではありませんか。シロウは頑張っている。だから、時には休息も必要なのです。」
それは、解っている。セイバーが帰ってきてくれてからは、前ほどに無茶苦茶はやらなくなったわけだし……。
「一人で背負い込まないでください。何の気兼ねもなく、明日は楽しみましょう。」
そう言うとセイバーは、悪戯っぽく笑い、俺の横に潜り込んで来た。
風呂上りなのだろう。石鹸の香りが、優しい。
「あ、………う、セイバー?」
「ふふ………。」
さっき、坂でそうしたように。セイバーはまた、俺を抱きしめてくれる。
「…………何か、こうしてると、赤ん坊みたいだな。」
その安らぎは、どこから来るのだろう。柔らかいその感触や、いい香りだけではなく、なにか。
「そうですね。………シロウは、子供のようです。聞かん坊なところが、特に。」
「む。………ちょっと気になるな。」
「いいえ。そんな貴方が好きなのです。聞かん坊でも、私が側に居ますから。」
「………っ!!」
ストレートに、好き、と言われ、動揺する。参ったが、こんな時の彼女は決まって無敵。俺がどうこうできる問題ではない。
「ですから、今は、ゆっくり休んでください。こうしていれば、怖いこともないでしょう?」
そう言われて、気がついた。
―――――ああ、そうか。
きっと、母の胸に抱かれる赤子は、こんな感じで、眠りに落ちるのだろう。
暖かさに誘われるように、静に、眠りに落ちていく。
目が覚めれば、4日目。
俺は、そこで、彼にであうことになるだろう。
続く
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