――放課後。それは、生徒たちが部活に、無駄話に、はたまた遊興に己が青春を賭け、そして謳歌する時間。規律の授業時間から解放され、自分たちの好きなように、人生に「青春」を染めていける時間、とも言えるだろう。
 人それぞれ――七咲逢にとって、その放課後は、水泳に打ち込む時間帯だった。ひたすらに一生懸命、頑張って泳ぎ、研鑽し、上達をはかる。


 それは、ひとつの、美しい「青春」の姿。

 しかし、クリスマスイブの夜から――いや、恐らく、もう少し早い時期から始まってはいたのだろうが――彼女にとって、放課後はそれだけの時間ではなくなった。

 もちろん、水泳に手を抜く、ということは全くない。むしろ、「そのこと」を支えに、より一層打ち込めるようになった、とさえ言える。  さて、水泳以外の何が、彼女の放課後に現れたのか。
 それもまた、青春の一ページ。

 傍に居たい、側に居て欲しい、甘えたい、甘えて欲しい。愛おしくてたまらず、彼のことで頭がいっぱいになってしまうような――そんな、恋人が、彼女には出来たのだ。

 今や放課後は、そんな彼と過ごす時間でもある。彼の左、傍らで、ゆったりと過ごす練習後は、逢にとって至福の一時。
 ただ、時折――非常に残念なことだが、一緒に居られない日だってある。今日は、逢にとっての「非日常」。練習後、一緒に過ごすことが、「彼」の用事でかなわなかったのだ。

 家に帰れば、当然、彼のぬくもりは側に無い。休日を除けば、授業の合間、そして放課後だけが、彼の左隣で、ゆっくりゆったり出来る時間だというのに――

「……仕方、ありませんね」

 逢は、しかし、それを残念がるだけの少女では無かった。先輩と一緒に居られないのならば、ソレを活用してみよう――と、彼女は思い立ったのだ。

 そういえば、と、逢は考える。確かに、まだ彼と付き合い始めてそんなに時間が経ったわけではない。けど、「それ」を、彼にしてあげていなかったのは、今思えば不思議なこと――と、逢は思った。自分の得意分野だし、多分、いや、きっと、彼も喜んでくれるはずなのに。

「ふふっ」

 今から、その反応を見るのが楽しみだった。そして、はじめてのことだからこそ、きっちりと、腕によりをかけなくてはならない。


 そう。逢は今、駅前の商店街を歩いている。

 七咲家では台所を預かることもある逢にとって、料理は得意分野のひとつ。
 その、手料理スキルを活かせる分野――更に、漢の全てが恐らくは夢見るであろう青春の一しずく――それは、「手作りのお弁当」に、他ならない。

 七咲逢は、彼に、手作りのお弁当を用意しよう、というのだった。

 いつも、彼が食堂でごはんを済ませることは知っている。
 そして、普段の昼食や、デートで夕食、朝食、間食を共にする中で、逢なりに彼の好みも分析したつもりだった。
 恐らくは、そんなに味覚は大人ではない――はず。あまり、凝ったメニューである必要はないと思う。一緒に行ったファミレスや、弁当店で彼が選んだ品物を参考にすればいいはずだ。

 だからといって、手抜きは許されない。「大人の味」への理解はなくとも、味そのものには敏感――というのもまた、逢の持った感想だった。おそらく唐揚げひとつにしても、彼には一家言あるに違いない。
 丁寧に素材を選び、そして、これまた丁寧に仕込み、仕上げる。基本に忠実な一連の流れだが、それを疎かにするのは許されない。 そして、それが同時に、愛情を籠めることにもなるのだろう、とも思う。

 そんな、わけで。
「……特売」

 逢の目が、キラリと光った。角の精肉店に、神々しく輝く、セールの旗印が掲げられている。
 とすれば、そこで確保すべきは鶏のもも肉――そして、野菜を巻く為に使う牛肉の薄切り。

「おじさん、こんにちは」
「へい、いらっしゃい」
「鶏もも肉……4切れお願いできますか? あと、牛肉の薄切りを200gほど」
「はいよー。他はいいかい?」

 他……と、逢は少し頭を動かす。今日は特売、すなわち、効率よく買い物さえすれば、家計の助けになる日、ということだ。そこにお弁当、そして今夜の材料だけ、というのは、確かにもったいないかもしれない。
 ちょっと、中期的な視点に立って考えてみよう――冷凍すれば、お肉は結構もつものだし――

「……そうですね。あと、牛肉の切り落とし500g下さい」
「毎度!」

 これににんじん、玉ねぎ、じゃがいもさえ用意すれば、買い置きのルーと共にカレーが出来上がる。特売で買っておいて損はない、という意味で、牛の切り落としは他の追随を許さない一品だ。

 カレーを美味しく作れるかどうかは、良き妻、良きパートナーとなれるかどうかの試金石、かもしれない。そうすると――そう、じゃがいもと、にんじんと、玉ねぎと……買ってきて、先輩にそのうちふるまうのもいいかもしれない――

 ――なんてことも、ついでに逢は考えている。

「お待ち……合計で……」

 提示された金額を払い、逢は精肉店を後にする。なかなかいい買い物をした、という満足感を抱きつつ。
 次は――八百屋さん、その後はスーパーにも寄って、少しばかり不足の品を買い足さなくてはならない。少々荷物にはなるけど――しかし。

「……くす」

 彼が驚いて、そして、喜んでくれる顔が見られるなら――もちろん、喜んでくれるかどうかは分からないけど――そのためにする努力なら、惜しむ理由はどこにもない。重い荷物を手に提げて帰るのも、そんな努力の一端だ。

 本当、明日が、楽しみで楽しみで仕方ない。

 逢は、夕日に染まりゆく街で、輝ける明日に想いを馳せる。

 今日は、もう顔を見ることは叶わない。
 もし出来たとしても、電話で話すくらいだろう。


 ――だからこそ、「明日」。


 朝、登校する時……は、朝練があるから難しい。朝練の後は、……出来たら、挨拶したいけど、時間が押したら無理かもしれない。そうすると、もしかしたら休み時間、昼休みまで一緒になれないかもしれない――けど、彼が欠席でもしなければ、そこまでには、一緒に居る時間を持てるはず――

 その時のことを考えただけで、楽しくなってしまう。

 頭がいっぱいになる、とは、こういうことを言うんだな――と逢は苦笑する。
 でも、そのいっぱいになった想いは、本当に心地よいもので。
 それが、恋であって、そして、恋人を持つ、ということなんだ――と。

「えっと、人参、ピーマン……あと、卵と……牛乳、パンも買っておかなくちゃ」

 逢はメモを見つつ、買うべきものを反芻する。
 いつもの買い物も、「先輩」に繋がっていると、楽しさ倍増、と言ったところ。
 浮かれる心を、どうやら、抑えることは出来そうにない。つい、表情に出てしまう。逢は微笑を浮かべながら、スーパーへと入って行った。


 つづく