軽快な原動機の音が、空気を揺らす。

 とある、晴れた冬の土曜日。しまりんこと志摩リンは、愛する原付と野営道具と共に、やや雲が多めな空の下を疾走していた。

(まあ、ちょっと急だったけど)

 だが、仕方ないのだ。そう、彼女は自分に言い聞かせる。何故ならば、急な日程にしたのは自分のせいであるからだ。リンの趣味は「キャンプ」。即ち、アウトドアで活動する類のものであり、そこには「道具」が必須である。それも、突き詰めていけば、それなりに多彩な──である。
「道具」の中には、自分で作るものもあるだろう。だが、大多数は購入するものだ。
 つまり。この趣味には、端的に言って、資力が一定程度必要になってくる。

(……ビビッと来たんだから、仕方ない。うん、問題ない)

 というわけで、彼女はあるキャンパー御用達用具特集ムックを読み込んでいた際、天啓を受けたかの如く欲しくなった「道具」があったのだ。かなり、お高いモノ、と言っていい。が、彼女は華の女子高生である。日常の多くは勉学に、趣味に、友人との何気ない交流に費やされる種の人類である。言い換えれば、お小遣い程度はあるにせよ、通常──ちょっと頑張らなければ、自由になるお金が多くならない、ということを意味していた。

(天気は、アレだけど。……やっぱ、見えないな、富士山)

 それ故に、彼女は目標を定め、次の数週間にアルバイトを多めに入れたのであった。入れてしまったのだ。労働とは、多くは自らの時間を売るモノと言っていい。要は、「お金をもうける=アルバイトを多めに入れる」ことは、次の結果をも伴う──「しばらく、キャンプに行けない」という、確たる未来である。

 そのことを悟った瞬間、具体的には日付にして一日前の夜、急遽、彼女はソロキャンプの予定を捻じ込んだのであった。

「しかしまあ、自転車で来ていたころに比べれば」

 目的地は、本栖湖畔。急な思い立ちである以上、下調べの時間は取れず、かつ、色々とミスった時のリカバーを考えれば冒険は避けるべきであった。本栖湖畔は彼女が行き慣れたキャンプ場のひとつであり、上質な時間を保証してくれる地であった。予報が曇りがちなのが唯一の無念であるが、背に腹は代えられない。晴れない、という保証もないのだから、そこは運であろう。彼女は、割り切ることのできる女である。

「ずいぶんと楽になったもんだ、っと……」

 かつては自転車で多少労力をかけて来た道も、原付スクーターにかかれば児戯に等しい。小さめの征服感に浸りつつ、彼女は既に馴染みと化した受付のお兄さんに声をかけ、キャンプ場にチェックインする。冬はアウトドア趣味で言うと一般的には「オフシーズン」に当たる。そんなオフにキャンプに来る理由は、ひとえに「孤独」の愉悦を味わうためである。

(そう、ソロキャンは救われてなきゃあダメなんだ……)

 最近読んだ漫画の一節を反芻しつつ、林間を通り、湖畔を目指す。本日は快晴、空気も大変澄んでいる。湖畔に出れば、冷たい空気と霊峰富士が出迎えてくれる。それが、この本栖湖湖畔である。

「ほぼ貸し切り──、ほぼ、だな」

 ざっと見まわしたところ、キャンプ客が全くいない、というほどではない。ただ、まばらであることは事実であり、ソロキャンの空気が阻害されることはまず無いだろう。

(設営設営、っと)

 手慣れた手つきで、自らの聖域を組み上げていく。各種アイテムも問題なし。雄大な自然の中で、独り本の世界に漂う時間は、すぐそこである。

 ただ、繰り返すことになるが、季節は冬である。寒い。以前のある「失敗」を経験している彼女は、同じ轍を踏むまいと誓っていた。即ち、最初から焚き火の準備をする、ということであった。カイロのみでは戦えないこともある。そう、彼女は学んでいたのだ。

 一定程度の設営が終わったところで、焚き火の資材を集めるべく、ベースを発った。ただ、来た道を戻る、のではない。受付から彼女の設営に到る道のりには、見たところ、あまりいい松ぼっくりが落ちていなかったのである。

(松ぼっくりが大事なんだ……あやつめ……)

 焚き火の完成、即ちぽかぽか温まりながら自分の時間を堪能するまでの行程を早めるのであれば、その被着火力が欠かせない。が、焦っても良くはない──気もする。少し、昼の景色を愉しみつつ、林に入ろう──リンはそう思い立ち、湖畔を歩き始めた。

 ……と。

(おお、珍しい……、いや)

 少々進んだところで、彼女は足を止めた。

 理由は、いくつかある。
 まず。彼女が目にしたのは、とある一人のキャンプ客であった。
 では何が彼女にそう思わせたのか、というと、その人──彼女は、金髪にして、透き通るような白い肌を持つ少女であった。一見したところ、非常に強く、海外の出自であることを感じさせる存在だった。
 が、それだけでは決定打にはならない。こと、富士山がキレイに見える可能性がそこそこあるキャンプ場であれば、来日する外国人であれば調べて来ることもあり得る話である。

 ただ、海外の人、というだけではない、稀少さ。
 それは、その少女の美しさにあった。

(綺麗な、人だな)

 自らを以てソロキャン愛好家を自認し、大自然の中で独りを愉しむことを嗜好する彼女にそう思わしめ、しばし見入らせる。それは、相当なことであった。少女は、目を閉じて、それなりにお値段が張りそうなチェアに身体を預け、静かに息を立て、幸せそうに微睡んでいる。湖畔で眠る、美しい少女の姿。現代のキャンプ道具に囲まれている、ということを除けば、おとぎ話の一節のようでさえあった。

(っと、いけないいけない。松ぼっくり……)

 そんな異国の少女に見惚れている自分に気付いたリンは、慌ててその場を離れ、林へと向かおうとする。

 ……と、

「……ん」
「!」

 その少女が、ゆっくりと目を開けた。金髪に白い肌──と、綺麗な、碧の眼。微睡の中でもその美しさは際立っていたが、こうして瞳まで見ると、ますますその「美」が洗練される気さえした。  ……柄じゃない。こういうのは。彼女は、そう思う。だが、それでもなお思わせるほどの強さが、目の前の少女には、備わっているようであった。

 それは、それとして。自然、リンと少女は目を合わせる形になる。
 次の瞬間、少女は、フッと微笑んで、

「どうも、こんにちは」
「あ、はい、どうも」

 極めて流暢な日本語で、そう挨拶してくれたのであった。

 その場は、それだけである。リンは自らが松ぼっくりハンターであることも思い起こし、軽く会釈してその場を立ち去り、林に入って行った。

(驚いたな。あんな人が居るもんなんだ)

 その道中でも、まだ多少の驚きが残っている。それくらい、その少女は「絵になって」いたのだ。美少女がキャンプをして、昼寝をしている。たった、それだけのことだと言うのに、である。
 林の中を適当に歩き、愛しの松ぼっくりを集め、持ってきたトートバックに詰め込んで、元来た道を戻る。別の道を採らなかったのは、いくらか、その「絵」をまた見たい、という想いが胸にあったからに他ならない。

(……っと、あれ)

 が、帰りには、少し行とは違う光景があった。確かに、思い返してみればそうだったのだが、彼女は一人用のチェアに座ってはいたものの、設備自体は二人以上のものであった。つまり、同伴者が居る可能性が高い、ということだ。

(彼氏さん、かな?)

 やや離れた位置に足を止め、様子を窺ってみる。

「悪いな、セイバー。待たせた」
「いえ、こちらこそ、お任せして申し訳ない」
「や、留守番してもらって助かったよ。まさかタレを忘れるなんてな……」

 苦笑しつつやり取りする男性は、少しこちらより年上──おなじくらい、かもしれない。いずれにせよ、20以上、ということはないだろう。シャープな体つきをした、優しそうな人であった。

 その人と言葉を交わすその少女もまた、とても温和な表情をしている。全く二人のことを知らないリンであっても、二人が信頼し合っている仲である──というのは、簡単に理解することが出来た。

(焼肉、かな。いいなぁ)

 そんな二人を気にしながら、リンは自らのベースに戻り、更に焚き火用の枝を採りに林へと入って行った。帰ってから気付いたことだが、彼女のキャンプから二人の設営地はそこまで遠くなく、視界に収めようと思えば十分に捉えられる範囲であった。

(ん……)

 餌──もとい、枝を大量に抱えてキャンプに戻り、さっそく焚き火に取り掛かる。松ぼっくりにマッチで火をつけ、BONFIRE LITののち、静かにチェアに身を沈め、ココアの準備に取り掛かる──この一連の流れをこなすことこそ、桃源郷の入り口と言っていい。

(さて)

 マッチを片手にとり──そこで、リンは、先ほどの二人に視線をやった。タレ、と言っていたからには焼肉なのであろう、という彼女の予想は、大まかに言えば当たっていた。明らかに、二人はバーベキューの準備をしていたから──である。  だが、準備、であった。

 先ほどから、しばらく時間が経っているのに、だ。

(……あれは)

 その様子を見たリンは、すぐに悟った。
 アレは──彼女の予想通りであるならば、間違いなく。

 いつか、受けた恩があった。それは彼女の友人が持つ行動力が呼び込んだ縁であったが、その恩はあの時のキャンプが台無しになるかどうかを救ってくれたものであった。

 一期一会、という言葉がある。その時の恩は既にチャラになっているようなものであるが、困っているキャンパーが居るのであれば、それも、かつての自分と同じ理由であるならば──さらに言えば、さっき少し見惚れてしまったあの少女のためであるならば、少しは関わってみるのもいいだろう。

「あの」
「ん?」
「おや」

 立ち上がり、歩いて二人の設営地に向かい、声をかけた。少女は、すぐに反応してくれた。にこやかな、晴れやかな笑顔である。

「先ほどの方ですね。如何しましたか?」
「えーと、ですね。それ、その炭、なんですけど」
「ああ、これ……」

 男性のほうが扱っているのは、所謂チクワの形状をしている備長炭であった。

「火がつかない、ですか?」
「ああ、そうなんだよね。よくわかったね……」
「あ、似たようなことを経験したので。よろしければ、これを」

 リンは、二つの炭を差し出した。パッと見の見た目は似ているが、モノは違う。所謂成型炭、というものであった。違うキャンプ場での出来事であるが、一度彼女は似た状況に陥り、その場を助言で乗り切ったことがあったのである。

「これなら、火が付きやすいので。その火力で、こう。ダイレクトではなかなか着火しませんから、備長炭は」
「なるほど、そういうことか……」

 男性はすぐに得心したのか、リンが実演して見せるまでもなく、受け取った炭に着火し、手際よく備長炭を並べていった。

「おお、これなら行けそうですね……! 焼肉は既に射程内に入ったということか……と、そうだ」
「あ」

 喜ぶ少女が、視線をリンに向ける。

「ありがとうございます、助かりました。ええと、……そう、私は、セイバー。アルトリア・セイバー・ペンドラゴンと申します」
「おれは衛宮士郎。本当、助かったよ」
「あ、どうも。志摩リン、です」
「しま、りん……ほう、リン、ですか。ほうほう」

 その名前を聞いた瞬間、二人の眼が、少し輝いた気がした。

「リン。素晴らしい、良い名です。かわいらしいという点でも、……ふふ、よく似ています。いえ、失敬。私たちの友人と同じ名だったもので、つい」
「いえ、お構いなくです。ところで……」

 丁寧にお辞儀をしてくれる少女──セイバーに、リンは恐縮してしまう。
 同時に、興味も、少しだけ沸いた。これだけの日本語が喋れるのであれば、あるいは日本の生まれ育ちか、とも思ったが、それは名前からすれば違う可能性が高い。では、海外から来たとして──だ。

「あの、今日のキャンプは、もしかして」

 来慣れている、という感じでもない。であれば、この本栖湖に、わざわざ来る理由は──。

「富士山を、見に?」
「ふふ、そうですね。私は今、冬木という土地に住んでいますが……一度是非、見てみたいと思っていました」
「知り合いが一時期熱をあげてたキャンプ道具が借りられたから、二人で来てみようか、って話になってね。ちょっと、天気が心配だったんだけど」
「せっかく、今を生きているのですから、色々な光景を見てみたい……と。シロウには、出来れば綺麗に見えるところがいい、とお願いしたら、ここにしてみようか、という話になりまして」
「なるほど……」

 であれば、納得である。ここから見える富士山は、美しい。地元に生まれ育った人間として、それだけは断言できることだ。
 だからこそ、惜しいと思う。セイバーが苦笑しているのは、当然、天気のせいだろう。こんな、曇りがちでなければ──、……。

「あ」
「お」
「おや」

 と、その瞬間、であった。
 三人が顔をあげて、自然と、富士山に視線が行く。
 すると──雲間、それは、本当に偶々の一瞬だったのであろうが──その稜線が、美しき威容が、はっきりと表れていたのであった。

(ああ……良かった……)

 二人の表情を見れば、それが僥倖であり、二人にとっての満足であったと分かる。せっかく来てくれたのだ。やっぱり、見て帰ってもらいたい。それが、地元民としての、偽らざる心境だった。

「見事な、ものです」
「ああ、綺麗だった」

 富士は、すぐにまた雲に隠れてしまった。それもまた、趣の一つでしょう、と、セイバーは微笑んだ。年のころは同じに見えるのに、その表情はとても優雅で、穏やかで。見ているリンをも、和ませるものであった。

「ん、火力も十分、っと。セイバー、そろそろ始められるぞ」
「おお、それは素晴らしい……!」
「あ、では、こちらはそろそろ」
「そうですか、リン。ご一緒したい、とも思ったのですが……」
「ありがとうございます。ただ、用意してきたものもありまして」

 それは、半分ウソ、であった。確かに、持ってきてはいる。が、突発的に入れた予定であったため、備蓄のカレー即席麺程度。ご相伴にあずかれるのであれば、そちらの方がより良かったのだろう。

 が、敢えてリンは辞退した。それは──

「そっか、残念だな。と、じゃあ、せめてお礼を……、と、これこれ」
「?」

 士郎はそう言うと、手元のクーラーボックスを探り、袋詰めを取り出した。

「冬だけど、キャンプに来るならなるべく傷まないものがいいと思ってさ。燻製、作ってみたんだ。お好みか分からないけど、よければ」

 中身は、ソーセージの燻製、であった。色がとにかく素晴らしく良く、手製と聞いて驚いたほどであった。もちろん。断る謂れはない。

「ありがたく頂きます」

 軽く、会釈する。そのあと、肉を焼きながら連絡先を交換したりしつつ、リンは自らのキャンプへと戻り、焚き火を熾す。

 ココアを温めつつ、ゆったりとチェアに座り、そして、本を取り出す。
 いつもならば、そのまま至福の時──なのだが。

(旅は道連れ、というのとは、少し違うけど)

 いつぞやのほうじ茶の出逢いに近い、かもしれない。もらいものは、随分とワイルドに寄ったけど。

(衛宮士郎さんに、セイバーさん、か)

 少し変わった、キャンプ場への来訪者。間違いなく、心に残るイベントだった。

(……うまっ)

 貰った燻製を一口つまみ、唸る。プロが作ったんじゃないかコレ、と。
 そして、来てよかった、と、心から思う。
 ソロキャンガールの特権──独りも、交わるも──そう、遠くから人の営みを眺めるも。

 二人の幸せそうな食事光景を見つつ。
 口に広がる燻製の味わいを愉しみながら、リンは一人頷くのであった。


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